読書、数学、面白い

id:phlebasさんの日記に、趣味は読書と言うと「一冊どのくらいで読める?」と聞かれることがあったと書いてあり、それを読んで思い出したこと。コメントつけようかと思ったけど、コメントにしては長くなりそうなので自分の日記に書きます。
「一冊どのくらいで読める?」という質問は私はされたことがないのだが、本屋で働いていたころに二の句が継げなくなるようなことを言われたことはあった。毎日、予備校での仕事に差し障りがない程度の時間しか本屋では働いていなかったので、月々の稼ぎといったら微々たるものだったにも関わらず、給料天引で毎月2万も本を買っていた私は同僚たちから「給料が現物支給に近いよね」などといわれていたものだったのだが、そんな同僚たちのうちの一人、二十歳の女子にある日、こんなことを言われたのだ。最初は彼女は私がどれだけ本を持っているのかに興味があったようなので、数えたことがないから正確な数は分からないが、1000とか2000とか、まあ3000冊はないと思うけどよく分からん、みたいな事を答えると、
「すごいですね、いつから集め始めたんですか?
と言われたのだ。私は別にコレクターではない、とか、本なら何でもいいわけではない、とか色んなものが頭の中をぐるぐる巡ったが、結局何から話せばいいか分からなくって失語症。ようやく口から出た言葉といったら「いや、別に、集めてるって訳じゃあないんだけど…」と非常に歯切れが悪くて我ながら忌々しい。しかしこういう女子が本屋に勤めていることがそもそも謎。
ところで朝、テレビで藤原正彦のインタビューを流していたのだけれど、話の内容は私が彼の授業を受けていた約10年くらい前から変わらんのだが、わりに歯切れのいい事を言うから聞いている側にとって分かりやすくて受けるのだろうかと思った。あんまり真剣に聞く気がなかったので適当に聞き流しつつ眉毛なんかを抜いたりしていた*1のだが、インタビュー後に話の内容を受けてテレビに出てた誰か知らんが女の人が、読書というのは文字を追って読むだけでも忍耐力が必要とされるから、忍耐力をつけるためにも読書をしなくてはならない、とかそんな事を言っており、それが彼女のオリジナルの意見なのか、そのようなことを藤原正彦が言っていたのかはわかんないけれど、読書が忍耐力をつけるための修行と捕らえてる人は、ちょっと気の毒だな。本なんて面白いから詠むのだと思ってたけれど、忍耐力をつけるための手段なのだとしたら本当につまんないよな。
藤原正彦の言っていたことの中で素直に共感できるのは「算数や数学というのはとても美しいものなのだ」という話で、具体例として三角形の内角の和が常に180度であるのは美しい、と言っていたのだけれどインタビュアーの女性は全然ぴんときていないようだった。私は修士レベルでしかない人間だけれど、数学や物理が美しいというのは、誰かに教えられたわけでなく自分で実感した経験があるのでよく分かる。なんというかこう、身震いするほど感動することがあるのですよ。読書が忍耐でしかない人や数学が苦痛でしかない人はそこにある面白さとか美しさとか、他の経験からは得られにくい種類の感動があることを知らずに生きているということなので、なんかもったいないことしてるなぁ、本人次第でそれは苦痛じゃなくて喜びに変わりうるのに、などと思ったりするのだけれど、運動好きの人間からすると私のような超インドア派は、やはりもったいないことをしているように見えるのだろうから、まあお互い様、ということでしょうか。

*1:昨日に引き続き、ちょっと女子っぽい活動じゃないっすか?これって。