きみまろ

今年の正月に新宿で綾小路きみまろを目撃したことを急に思い出した。いや、どちらかというとこちらが目撃された感がある。バーゲンでの闘いを終え戦利品を手に西武新宿のセガフレードに向かうと、そこに彼はいた。
一般に芸能人というのは、プライベートでは自己の存在に気付かれたくないと思うものではなかろうか。私は元々、あまり人を見ていないというか街中で知人と擦れ違ってもこちらからはまず気付かないので、気配を殺した芸能人の存在などまず気付くことは不可能だ。母親と一緒に歩いているとこの人は大変目敏いので、そこに○○がいる、などと指摘するのだがそれでも私はその芸能人を見つけられない事がよくある。
では何故きみまろには気付く事ができたのか。それは彼の発していたずうずうしさまで感じさせる存在感ゆえであろう。周囲の全ての人間に注目されたい!彼の背中はそう語っていた。若い女性と親しげに話していた彼だが、到底恋人とは思えなかった(何故なら彼女は完全に引いていた)。まあ仕事の上で付き合いのある女性かなにかだろうと私は踏んでいた。
しかし暫くするとなんと、その女性は早く解放されたいといった表情を浮かべながら「じゃ私はお先に失礼します」といって足早にそこを立ち去るではないか!その女性は連れでも知り合いでもなく、単にきみまろが一方的に声をかけただけのただの普通の人だったのだ。唖然として私はその光景を眺めてしまったのだが、我に返ってきみまろに目線を向けると今度は奴があつかましいくらいの笑顔を満面に浮かべ乍ら、不躾にも私の顔を凝っと見つめてきたではないか。これは確実に、次のターゲットを探している顔である。奴の非礼を改めさせる為にもここは一つ、奴を睨め付けてやろうと思った、がそれも止めた。奴の挑発に乗ることは即ち私の敗北を意味するからだ。そして何も気づかなかった風を装い、私は手元の本に目線を落とした。勿論、落ち着いて本を読めるわけもない。ここで重要なのは本を読むことではなく、きみまろに声をかけさせる隙を与えないことだ。他の客人たちも私と同様、奴に声をかけられたくなかったのだろう。きみまろは未練がましく最後まで誰かに声をかけるチャンスがないかと周囲を見回していたが取り付く島なく去っていった。