将来の夢

というものを今まで持ったことがない。子どもの頃は誰しも何らかの夢を抱いているものであろうが、私には一切なかった。今だって”なりたい”という願望はない。それはなぜか。
”なりたい”と思う時、その人はそうなった自分の姿を想像して客観的にながめていることだろう。客観的な自分は則ち世間の目である。はたから見て素敵な自分になりたいのだ。となると世間に対して意識の低い者はどうなるだろう。常日頃から周囲があまり見えておらず、他人の思惑に興味がないというかそんなものが存在することすらいまいち分かっていない。そんな人間が果たして将来の自分の姿を客観的に思い描くことなどできるであろうか。
何かに対して熱意を持って”やりたい”と思ったことは多々あるし、今だってそのような対象は存在する。私にとって”である”ことより”する”ことの方が圧倒的に重要なのである。小学校の卒業文集に載せなくてはいけない”将来の夢”に戸惑った自分に対し居心地の悪さを感じたものだが、その理由が今更乍らすこし判った気がする。