言語能力における厭味な表現

  1. 「英語なんて論文読むくらいしかできない」
  2. 「英語喋ろうと思ってもついイタリア語がでてきちゃって全然喋れない」

これ、多分普通の人が聞いたらどちらもめちゃくちゃ厭味に聞こえるんだろうな。しかし実際は厭味なんてもんではない。論文というのは本来明確に分かりやすく書かれるべきのものであり、文学作品に見られるような隠喩などを用いたら噴飯ものである。出てくる単語もテクニカルタームさえおさえてしまえば、後は然程難しいものもない。ゆえに自分の研究分野の論文を読むくらいなら、慣れてしまえば雑作もないのである。「ついイタリア語」というのも単につながりやすさの問題である。会話なんて瞬発力がものを言うので、普段より使っている言語の方が出てきやすいだけだ。イタリア語のほうが喋りやすいと言ったからといって、英語力がどの程度であるかは全く関係がない。とはいってもやっぱり厭味だろうな。