ポンペイ夜話

アテネオリンピックの開会式、フランスは「ガリア」だったそうな。スゲー、いまだにガリア。現在も生きている単語だとは夢にも思わなかった。ゴーティエのポンペイ夜話で主人公が古代ローマに紛れ込んだときに、ローマ人に向かって「私はガリアのものです」とかなんとか言ってて、インテリっていうのはちゃんと相手に応じて自分の出身を分かりやすく伝えられなくてはいけないものなのかと感心したのを思い出した。だけど現在もガリアで通用する地があるのならば彼の発言は然程機転のきいたものではないのかもしれない。
ポンペイ夜話で一番印象的だったのは、主人公が初めてローマ人に声をかけられたときに、当然ながらラテン語で話しかけられたのだけれど、その男の口から流暢に死語が流れたのに驚いた、とかそんな記述があって、その「死語」という表現。これ以上適切な場面があるだろうか、この言葉を使うに際して。私以外の人間には理解できないことかもしれないが、私はこの用法を目にしてだいぶ笑った記憶がある。「死語」だって!本当に誰も使ってないよ。ラテン語以上の死語がこの世に存在するか??この一点だけで私の中でゴーティエは記憶に残る作家になってしまった。死霊の恋なんかは中途半端。やっぱポンペイ夜話でしょう。