語学熱

日本には1億2千万人以上住んでいると言うにも関わらず私の知っている人間の数と言ったら、日本人の総数を1とするともうほぼゼロと言い切ってかまわない程度の数だ。こんな微量の人間しか知らないのに、本当にこの中に自分と結婚するであろう人間がいるといえるのだろうか?などという話は稲中卓球部にも書かれていたような気がする。しかしそんなことを言い始めたら、自分の結婚相手が本当に日本人の中にいるのかだって怪しい。どっか世界の果てにいるかもしれないのだ。だとしたら日本語しか話せないとなるとその相手に出会ったときにコミュニケーション取れなくて困るではないか。自分の運命の人(ひ〜〜〜!恥ずかしぃ〜!誰か私を殺してくれ)にいつ何時出会っても良いように、各国の言語を習得すべきなのではないか?と言うことで私は高校時代には中国語を、大学の学部時代には2外でドイツ語を、院を出てからはイタリア語、フランス語と手を出し、途中何を血迷ったかラテン語にまで触手を伸ばしかけたがこんな言語、もう死語(© ゴーチェ)じゃん。誰も喋ってないじゃん、と自己の過ちに気づき学習を6時間で中止、現在はチェコ語に興味の中心が移っている。多くの人間とコミュニケーションをとるなら英語を完璧にすりゃいいじゃん、と言われそうだが、指し当たって現在私は英語圏の文化に然程興味がない。自分の興味のない文化圏をバックグラウンドに持つ者とご縁があるとは思えないし、逆に英語圏の人間が日本に興味を持ったために私と出会ったりするのであれば、そいつが日本語を学べばよいのである。今日も日本語ぺらぺら、漢字すらマスターして朝日新聞社刊の「週間日本の祭り」を愛読するフランス人と思しき男性と言葉を交わしたところだ(注:彼は私には興味を持たなかった)。だからいつ誰と出会っても良いようにするには自分の興味のある国の言語を学べばよいのである、などということはさっき深キョンウォンビンの出てたドラマを見ていて妄想しただけで、以上の内容は心にも無いことだ。なんとなく、自分の語学熱に理由付けしてみたかっただけである。こんな何の目的も無く、単にその言語に対する面白さだけで語学をやっていると、マイナー言語になればなるほど「何故そんな言語を?」と問われて相手が納得するような返答を返すのに困ることが多いのだ。いや私としては他人が納得してくれなくても全然かまわないんだけど、いろいろ面倒くさくてねぇ。ほっといてくれるのが一番いいのだが。