相田みつをごっこ?

モンブラン、また価格改定だって。値下げするのかと思ったら、やっぱり値上げだった。やりすぎだよ。
私が近頃ずっと、心に引っかかっていたとあるフリーの編集者の死だが、昨日から彼の唯一の小説を読み始めた。彼の死を知ったときに書いた日記に、彼が年若くしてガンに罹って死につつあることを理由に、半ば同情から彼の作品を高く評価することを潔しとしないこと、そんな評価をされても本人も喜ばないであろうということを書いたが、同情で褒められても喜ぶ人だったのかも知れない。
端的に言って、小説として成立していなかった。小説じゃなかったのだ。子どもの頃から作家になりたかったそうだけど、なんでそんな事を思ったのか不思議に感じるくらいだ。一体今までどんな本を読んできたというのだろう。作家を、何をする人のことだと思ってたのだろうか。本人は「自伝的小説」と言っていたけれど、小説じゃない。ただの自伝。「自伝」じゃダメで「小説」という言葉にこだわっていた辺りを鑑みると「小説を書いている自分」が好きだったんだろうな。
というか恐らく自伝じゃダメな理由は他にもあって、自伝じゃありのままを書かなくてはいけないから(そうは言っても徹底するのは難しいだろうけれど)、自分の人生を美化できない。カッコイイ「ストーリー」にならないから、「小説」というオブラートをかぶせたんだろうね。実際にそこに現れる(描かれる、とは言えない)彼の姿といったら、さして格好がよいとも思えないのだけれど、彼自身が自分を高く評価していることはひしひしと伝わってくる。うん、あれだ。文学フリマで自分の書いたもんを「面白いから買っていってください!」って言っちゃってる人たちとおんなじだね。
技術的な面でも小説とは言えなかった。まとまりがなくて、何を表現したくて書いているのかよく分からないのだ。多分、彼自身も分かっていなかったに違いない。人生の様々な局面で彼自身は、何らかのものを感じ取っており、心に響く出来事もあり、それを伝えようと自分の経験を書いているのだろうけれど、彼自身がその感じたところのものを言語化しておらず、実態を掴みきれていない。それどころか、感覚的なものを認識するという行為を知らなかったのではないかと思う。だから、自分が何かを感じ取るきっかけとなった「事実」を羅列すれば読み手にも伝わると思い込み、結果、脈絡もなく出来事を並べ立てるという事態になってしまったのだろう。自分について描こうとしているのに、自分自身を掘り下げる作業がなされていないので、非常に表面的で浅いできになっているのだ。
本来、読み終わるまでは批判的なことは書かないのだが(全体を把握する前に判断することは出来ないからだが)、小説の出来・不出来以前の問題なので書いた。それに、最後まで読みきれない気もしてきたし。決して彼の人生が下らないものだと言う気はない。彼が下らなかったら私の人生だって、十分バカバカしい。それに仮に平凡な人間の生き様だって、書き手に力量があれば面白くなるものだ。彼の人生なんかガンの事を抜かしたって、その気になればいくらでも面白くできるのに、無自覚に過剰な自意識を見せ付けられたという印象しか残らなかった。
それから、だからと言って彼のことをダメな人間だと言う気もさらさらない。恐らく彼はこの「小説」を書くことで誰よりも満足しているだろうし、彼が幸せならそれで良いと、厭味じゃなくて本気でそう思う。ただ私は、私にとって感じたことを言葉にするのはとても自然な行動だから書いているだけだ。誰かに伝えたいと言うよりは、言語化することによって、頭の中で曖昧なままであった部分を明確化し、それによって思考が更に深まるのを促したいのだね。言葉にすると自分自身でも自覚していなかった部分がどんどん見えてきて面白いのだ。一番いいのは人と話をすることだけれど、お互いに深め合い、止揚できる相手というのは世の中そう多くはいないものだ。何人かそんな友達はいるけれど、圧倒的なまでに巧く、そういった会話のできる相手が私にはいて、だから「明日話せますか?」と聞いたらあっさり断られた。忙しいんだってさ〜。私も明日仕事だけど。というか連休なんて存在しないけれど。
本当は今日書いたことはもっと掘り下げたいのだけれど、話をよろこんで聞いてくれる人がいないので、不十分な段階なのに書いてしまった。だから文章がちょっといいわけ臭い。誰か話を聞いてくれないかなぁ。聞いてくれるだけでいいんだけど。ただ見当違いの意見言われても面倒くさいだけだし。あ〜、なんであの人いま忙しいんだろう。
ところで、今日の日記のタイトルですが、あれを付けた事の顛末はこんな風。昨日調達してきた食料の中に「ひじきごはん」があって、それを食べていたときのことだ。つつましく健康的な食事であるなぁと感慨深くなっていたときに、ふと気づいた。人間が食べるあらゆる物は、「生き物」でなかった事はないのだなぁ。坊主は生臭を食わないと言っても、植物だって何だってかつては生き物だったのだ。油断してたので「生かされている」見たいな事を思っちゃって、相田みつをみたいで気色わるいと思ったのでした。今日は文章長い割りにイマイチだなぁ。ちっとも面白くない。やっぱり考えが纏まらないうちは書いちゃダメだ。人と話さなきゃ。誰か相手してください。