先越され感

確かに昨日は、といっても今日未明だが朝4時近くまでネットをやっていた。だからって目が覚めたら夕方5時はあんまりじゃないか。ネコも一緒に寝てたらしい。どれだけ寝たら満足なんだ。
ところで私は風呂で読む本は古本に限っている。100円で買ってきた本ならば湯気でしわしわになろうが湯の中に落とそうが全く惜しくはない。それから軽く読める内容のものが好ましい。何も考えず森茉莉を読んだときは脳が煮えるかと思った。そして今日読んだのはこれ。
ナンシー関ボン研究所
ナンシー関著 \500 角川文庫 ISBN:4041986109
ナンシー関以上に風呂で読むに相応しいものがあるだろうか。あるか。遠藤周作の狐狸庵なんかもよいからな。コラムを書く人が陥りがち、かどうかは分からないが「無理矢理まとめにはいる」という事をしないこの人が好きだ。いいじゃん別に、無理に結論付けなくてもさ、と思うことがままあるが、思ったことを言いっぱなしだったりするところに好感がもてる。
なんてことはどうだって良いのだが、今回もまたしてやられた。私はかねがねディナーショーの世界*1をのぞいてみたいと思ってきたのだが、「信仰の現場」(ISBN:4041986036)を読んだとき、あとがきに既に「次はディナーショーにも行ってみたい」などという事が書かれていた。明らかに私がかの世界に興味を持つよりも早い。そして今回は「子どもの名づけ」だ。
去年ゆえあって私は名づけに興味を持ち、レジュメまで作って数人の前で話をしたりもしたのだが、その準備段階でめっちゃくちゃな名前が予想以上に世の中に存在していることを知ってかなり衝撃を受けた。そうしたら私が興味持つよりずっと前にナンシー関が言及してんの。子どもの名前に。なんでいつもこの人には先を越されてしまうのだろうか。いやしかし実際面白いですよ、名づけは。私がそのレジュメ作ってたときに参考にしたサイトでは様々な名前の由来を紹介していたが、その中にすごいのがあった。
嵐孔(らるく)
男子の名。由来は「ラルク・アン・シエルがスキだから」。ホラ、面白いでしょ。名づけの世界はあまりにも予想を超えてそこが(ある意味)深く、一時期は赤ちゃんの名づけ辞典的な本を電車の中で読んだりもしたものであった。きっとあの頃私は妊婦だと思われたのだろう、同じ電車に乗り合わせた人に。と思うところに自意識過剰さが現れるのか。誰も見ちゃいないよな。その「見ちゃいない誰か」の目を過剰に意識した私は、普通にこの本を読んでいたら未婚の母と思われること必定、と人知れず適当な指輪を左手の薬指に嵌めたりもしたが、そんな事をしている自分にも恥ずかしさを感じてすぐに外したりもした。要するにただのバカです。

*1:できればグッチ裕三研ナオコなどよりはトシちゃんなどが望ましい。