生き様が間違ってる

ローマ人の物語が前ほど面白く感じなくなってしまった。「悪名高き〜」で見つけた、不必要な差別表現以来、のめり込んで読むことが出来なくなってしまったからであろう。妙にさめちゃってねぇ。単純にソレだけが理由だとも思わないのだけれど。他にも「カエサルだったら」という表現が出過ぎるのが鼻につく、とか理由はあるし。
小説家が描くローマ帝国だから、素人でも読みやすいし楽しく読めるのだけれど、一旦さめてしまうとなると「思い入れが強すぎる」などと思い始め、そんな私は実に身勝手だ。だけどしょうがない。それが普通の人間ってやつよ。イタリア語の勉強がてら、リヴィウスでも読んでみようかな。ウソ。絶対やらないのは眼に見えてるので撤回します。いずれにしても、勉強が趣味の範囲内に収まっている間は幸せで楽しいね。
3年前にイタリア文化会館でイタリア語を習っていた頃、平日の昼間のレッスンを受けていたせいかクラスメイトは主婦ばかりであった。夫の稼ぎで勉強させてもらえるなんて、羨ましいご身分である。ああ、私も生活が保障された状況で好きなことを好きなだけ勉強したい、などと思っていたら見合いの話がきた。何でも母の友達の友達の夫の妹の息子さんだそうで。友達の友達の夫の妹の息子。関係性を把握するのに暫し時間を要した。なんでも国立大学の大学院を出て、今も企業の研究所で研究されているとかで、そんなご立派な方には私のようなヤクザ者など釣合わぬ、と思ったのだが、国立大学の大学院なら私も出ているのであった。どこで道を誤ったのだろう、トラヴィアータよ。
冗談はさておき、如何にして生きるべきか未だに思い悩む青臭い三十路前女が「結婚」を目的としたアクションに踏み切るのは本末転倒というか、生き方がまだ磐石じゃないので無理です、という事でお断りしたのだが、磐石になる日などやってくるのだろうか。自力で磐石とすることを諦めたときに初めて、見合いの一つでも受ける気になるのかもしれないのだが、私のことだからそういう気になったころにはきっと見合いの話など一つもなくなっているに違いない。大体何やっても後手後手にまわるからな。別に生活保障してくれなくてもいいから、私のこの強すぎる好奇心に理解を示してくれるだけで十分なんだけどな。それで議論の相手をしてもらえれば尚良い。あとは多少放っておいてくれる人ね。思いも寄らぬ方向に話がそれてきたのでこの辺で終了。