娯楽の必然性

木曜日より体調不良で寝込んでおります。図らずも5連休。…夏休みじゃん。いいんだろうか、こんなことで。本日久しぶりにPCに触れる気力が出てきたのでこうして日記を書いております。私はひょっとして本当は体力がないのだろうか?いやいや、私の体はそんな繊細なつくりではない、などと自問自答。しかしこの吐き気は紛れも無い現実。夏目漱石に思わず共感。食べたい気持ちはあるのに体が受け付けないなんて!すっかり胃が小さくなってしまった。もう老人だから多少縮小したぐらいでちょうどいいのか?
川原泉の「笑うミカエル」が実写で映画になって本日公開だそうで。ということで久々に読み返してみたら大変面白かったのですが、あれを実写にしてあの面白さを再現できるのだろうか。いやできないだろう。だから忠実に再現しようなどと思ってはいけないのでしょう。2時間程度の尺に納めようとしたら、有名お嬢様高校に通う変り種3人組が怪力を身につけて誘拐犯にさらわれた先輩後輩を救出するという大筋だけの話になってしまうのだろうが、私としては寧ろこの大筋よりも、この3人組が光源氏に対して悪態ついているところであったり、完全に庶民育ちの、3人組のうちの一人が高校生になって初めて再会した貴族的な育ちの兄に対し「お兄様」と呼びかけるか「兄ちゃん」と呼ぶかで迷った挙句、食事中に自ら使っていたフォークでおもむろに相手を指すところなどといった細部に面白さを感じているので、そうなるとこの映画は観る必要がないわけで、しかし観る以前から「大体こんな程度の話におさまったいるのだろう」と高をくくっては良くないようにも思い、結局観るべきか観ないべきかよく分からないままだ。いやいや別の観点からだと、私は日ごろ忙しく働いている労働者なので、かかる映画に時間とお金をかける暇はないという事になり、よって観る必要が無い。おい、そんな考え方だと世の中全ての娯楽の自身に対する必然性を全否定することになるじゃないか。よく分からんままですが、気が向いたら観ようと思います。そして気が向くことは無いように予感しています。