7月31日の日記

生活態度を改めて、もう少しまじめな人間になろうと思います。この2年書きつづけたこの日記を読み返してみると、いい加減な生活を送っていることが如実に表れており反省しているところです。生き様のいい加減さはもうどうにもならないと諦めているのですが、せめて日々の生活くらいには多少は真面目に取り組みたいと思います。
ところで今日も仕事でネットばっかやっているのですが(サボりに非ず、これも仕事です)、好きなサイトを延々身続けねばならず、その際に見たサイトのURLも記録しておかないといけないのですけれど、先週からそんなことをずっとやりつづけているのでいい加減調べる所がなく困っていたときに唐突にヒジュラのことを思い出して、そこから発展してキメラ、半陰陽などを調べています。心の性と体の性が一致しない場合の話を聞くことはままあると思うのですが、それに対して体の性がどうにも曖昧な場合の話はあまり耳にしないような気がします。
私自身のことを考えると、巨乳ではないが貧乳でもないし、一応ちゃんと女の身体をしていると思うのですけれど、これが不妊だったりした場合に染色体異常の可能性もあるわけで、自分の性が遺伝子のレベルで男とも女とも言い切れないとなった場合には大分ショックが大きい気がします。大学が女子大だったこともある、という事は関係ないかもしれないけれど、割と性差のことや、恋愛対象となりうる性が多くの人*1にとって特定の性に決まっていることについて、かつては考えを巡らしたりもしたけれど、これらのことを考える前提として、人の性が定まっているということが必要とされるわけで、性がはっきりしない、確定しないという状況は、なんというか、大分土台が揺らぐ気がします。
思い起こしてみると私は自分が「女である」という意識がやや薄く*2、では「男である」という認識でもあったのかというとそれはなくて、願望では無性になりたかったのかな、という気がするのですが、そんな私でももし性別がはっきりしない、などという事態になったら例えようもない不安感に襲われる予感がするのが私にとってはちょっとした発見でした。ところで私のこの「無性」をどこかで望むというところは、言い換えると「大人になりたくない」「子どものままでいたい」という気持ちの表れであると思うのですけれど、私という人間は要するにあとちょっとで30歳なのにエゴイストだし大人になりたくないなどと青臭いこと思ってる人間というわけで、なんでこんな人になってしまったのだろう。すこし悲しくなってしまいました。

*1:ゲイ含む。ゲイの場合は恋愛対象が「同性」に特定されているという事で。この場合含まれないのはバイセクシャルのみ。

*2:意識は薄くとも「乳がデカくて肩が凝る」と一度は言ってみたいと思ったことはある。