痛々しい可能性

今日は色々考えなければならないことが多く(雑誌の記事のこと、小見出しどうするかetc.)、通勤電車では毎日本を読んでいるのですが敢えて本を持たずに仕事に出たために逆効果でした。雑誌の事なんか考えもせずに隣に座ったオジサンの臭いについてあれこれ考えはじめ、家に帰る頃には禁断症状。本、本を!早く!あ〜本読みたい死んじゃう。なんでも良いから何か本を!プリーズ!なんでも良いからといえばハーレクインロマンス。大学生の頃、神保町の書店(書泉ブックマートだった)でなんか本買ったら無料でハーレクインロマンスをくれた。当時は私もまだ二十歳そこそこで、なんで一体私にこんなものを?私がこれを読んで喜ぶとでも思って!?と誰も私の事など意に介していないのに人知れず顔を赤らめつつ誰にも見られないように(だから誰も最初から見てないよ、私の事など)こっそりバッグにしまった事があります。その後、捨てるのもなんだし、と適当に本棚にいれておいてそれっきり忘れていたのですが、大学で試験が始まったある日の事。試験前に未読の本があるとそれを読み終わらないうちには勉強を始められない私ですが、それは本が好きだからというよりは試験勉強嫌さによる現実逃避で、まじめに普段から勉強している人なら試験前日に本の1冊や2冊読んだところで対して影響がないでしょうが、私の場合学校の試験は中学時代から大学を出るまで終始一貫して一夜漬けを貫いていたので(確たる意思があったわけじゃないけど結果的にそうなった)、前日に本を読むのは結構致命傷。ということで試験が近づくと本は買わないように気を付けていたのですが…、そんなときは何でも良くなってしまうのですね。目に付いたのはかつて神保町で貰った無料のハーレクインロマンス。ええ読みましたとも。それも3回も。本当にバカだね。この節操なし!
こんなことを書くつもりでPCを起動させたのではなかった。というかそもそも雑誌の事を考えようとしてPCを立ち上げたのにまたしても現実逃避。この性格は一生治らないでしょう。今日の昼間に書いたこの下の日記。かつての私はできれば性を持たない存在になりたかったと書いてあり、その前には「女であるという意識がやや希薄」などという事も書いていたわけですが、よくよく考えて見ると本当は意識が希薄なんじゃなくて寧ろ究極の少女趣味の世界なのかもしれない。イヤーッ!恥ずかしいわ!死んだ方がマシよ!「大人になりたくない」はこの場合やはり正しくて、もっと詳しく書くと「大人の女になりたくない」「少女のままでいたい」とかそんな感じ?ヒィ〜ッ!なんて事を書いてんの。恥ずかしいなら書かなきゃいいのに自分の内面と向き合うことを止められないのです。だったら誰にも見られないようにこっそり紙かなにかに書いておけば良いのに…。あんまり人に理解されないのですが、中学生の頃に非常に仲の良い男の子がおりまして、私は彼の事が大好きだったのですが、彼が次第にこう、なんていうんでしょうね。不自然に映画に誘ってきたりしましてね。何か話をしている最中に映画の話が出て、じゃあ今度それを一緒に観にいこう、という展開になったのならば私も素直に受け入れられたのですが、誰に番号聞いたんだか知らないけどウチに電話してきて唐突に映画にさそってきやがって、こうなるともう「映画を観る」ということが目的なんじゃなくて「私と出かける」ということが目的になってるわけじゃないですか。そんなのイヤイヤ!会いたいなら会いたいと素直に言えばいいのに映画などと見え透いた口実つくりおって、というのは齢三十にならんとする私の感想ですが、当時はこう、それまで我々の関係性に「性」という要素が存在しておらず、非常に仲の良い素敵な関係で、その関係でいる間は私は無性でいられたのに彼のその態度によって唐突に私は「女」になってしまうわけで、そんなことになっている自分の身に嫌悪感を抱いたりしたものです。大島弓子の描く少女の繊細さを思い浮かべてください。ああ、もうダメ…(絶命)。今年1年分の恥ずかしさを使い果たした気分だ。お互い確かに相手を特別に好きだと思っていて、一緒にいて話をして幸せなのになぜそれ以上の物を求めようとするのか理解できない。「恋人同士になりましょう」とコンセンサスを得て、それでどうすんだよ。何か保障が欲しいのかよ。相手がどう思っていようが、自分が相手の事を好きだナァと思っているならそれでいいじゃねぇか。好きなら好きと言えばいいのに「自分の気持ちを相手に受け入れられたい」とか想い始めるから見え透いた口実使う事になるんじゃねぇか。それって自己愛なんじゃねぇの?…だんだん過激になってきてしまった。勢いついでにもっと書くと、人間の愛の形で一番純粋なのは、…やめておこう。恥ずかしすぎる。自分の存在が痛々しい。なんでこんな未だに思春期の真っ最中みたいなことを書いているんだろう。青い春ですおのおのがたよ。いい年してこんなことを書いて晒している自分はとても恥ずかしくて未熟だと思うけれど事実なので仕方がない。未熟さという業を背負ったまま生きてゆきます。いつか私が成熟する日がくるのだろうか。…こない気がするな。