ピサについて

チェーザレ」1巻にピサの地図が出てくるのだが、これを見てたら思い出したことが。189ページに地図はあるのだけれど、この地図の「ドメニコ会の管轄する地区」の文字のすぐ上あたり、つまり城壁のすぐ外側は確か今のピサ中央駅があるはず。今の姿からはとても想像つかないねぇ、あの荒みっぷり。街の中心部をイタリア語でチェントロ(=centerの意ね)というのだけれど、駅は当然ながらチェントロからは外れている(というかピサの場合そもそも城壁外)ので大体小奇麗に整備されているものだ。気になってピサの地図を開いてみたら、今も189ページの地図にあった大学の位置と同じ場所に大学があるのね。本当にいろんなものが変わらない国だよ、イタリアは。
チェーザレの住んでたアルチヴェスコヴァードの館の場所には Pal. Arcivescovile と。やっぱこっちもまだ残ってるんじゃん。ちなみにアルチヴェスコヴァードは大司教の意。アルチヴェスコヴィーレ(Aivescovile)はその形容詞。Pal. はPalazzo (=Palace)の略ね。ちくしょう、そう知っていたら「ここにチェーザレが住んでいたのよねぇ」と訳知り顔で眺めてきたものを。ちなみにボローニャ大学の中に入ったときは「ここでチェーザレが学んでいたのよねぇ」と訳知り顔で眺めてきたが、これ勘違い。チェーザレじゃなくてその父、アレッサンドロ六世だった。赤っ恥。
知人がピサに行ったときにはトーレ・ペンデンテが修復中で入れなかったのだけれど、私が行ったときには入れるようになっており、別段斜塔になんか興味なかったのだけれど、人が入りたがっていたことを考えると後で自慢げに「すごいよかったよ、斜塔」などと語れるので入ることにしたのだが、入場料がバカ高かったので即座に断念。確か3000円くらいしたんじゃないかなぁ。修復にお金がかかるらしい。仕方ないか。ピサなんかジェノヴァに行く途中に2時間くらい立ち寄っただけだけど、「チェーザレ」を楽しむためには行っておいてよかったと思う。もう2度と行かない可能性高いけど。