11月16日の日記

私の日記、時々「キンタマ発言」という検索結果から来られる人がいるのですが。数ヶ月に1回程度なんですけれどね。何を知りたいのですかね。
Thornさんからお誘いを受けてボルヘス会のボルヘス没後20年イベントへ。会場は早稲田なのだけれど、私は俗に大久保工科大学と呼ばれる理工キャンパスへは行ったことがあるものの、文系のキャンパスへは殆ど行ったことがない。念のためわかりやすい道順を教えてもらおうと前日にカレー部マネに電話すると「メーヤウ*1のある通りが…」と、メーヤウを基準に説明された。大学の場所がわかんない人間にメーヤウの場所がわかるわけないじゃんねぇ。こんな時まで自分のカレー力アピールかよ。そうまでして選手復帰を目論んでんのかよ。それなら夢民*2を基準に説明してくれよ、夢民を。
私の意識では一次元的に道を捉えているので、あくまで脳内では自分の現在地と目的地とは一本の直線で結ばれており、したがって自分がよく行く店の場所ですら人に説明することができない。実際にはどこかで曲がったりしているはずなのだけれど、二次元的に捉えていないから「道を曲がる」という概念がないのだ。私の中では常に一本道。歩いているとそのうち目的地に到達する。今日もそうだった。動物的嗅覚を発揮して迷わず会場にたどり着けたが、どこをどう歩いたのか全然わかんない。要するに何がしかの能力が欠けているということでしょう。
会場に入ると既にシンポジウムが始まっていた。ボルヘスはバベルの図書館くらいしか読んでいないので楽しめるかどうか心配だったのだけれど、結構面白かったのでよかった。ピアソラってボルヘスの詩に曲をつけたりしてたのね。今度聞いてみよう。アルゼンチンは日本の正反対にあり、水が流れるときの渦のまく方向も逆になる、という話がちらっと出たとき、コリオリ力を知らない人には渦の向きの違いに何か神秘的なものを感じたりするんだろうな、と思わず冷めたことを思ってしまい、こういうことを言うと「これだから理系の人間は…」と嫌がられたりするんだろうな、とも思ったのだけど、ふと思い直し、私は確かにコリオリ力を理解してはいるけれど、実際にその現象を目の当たりにしたわけではなく、北半球においては「北」という語に寒いイメージを持つわけだけれど、南半球ではそういう、頭で理解することではなく子どものころから体験的に得てきた感覚なども異なるわけで、そういう状況に自分の身をおいてみたら面白いかもしれない、よし今度は南米に行ってみよう(オーストラリアでもいいのだが)、という感じに気持ちが変わった。ボルヘスと全然関係ないが。
シンポジウムのあとはタンゴ歌手の歌やら早稲田のタンゴサークルか何かの演奏やら、ダンサーの登場やらがあって終了。結構楽しめました。閉会後はレセプションがあり、関係者でなくても会場に赴けばただ酒が飲めるということで行ってみて、ヌーヴォ解禁の日にヌーヴォと関係のないアルゼンチンワインを飲みました。Thornさんとお知り合いの方の会話は門外漢の私にはついていくのも困難であったのだけれど、ふと、こういう人たちを文学青年と言うのだな、初めて見た、とちょっと感慨深かった。要するに私がまだ読んでいない面白い本は山のようにあるということで。Thornさんのお知り合いの方が学生時代にゼミでロリータを扱ったときに「ハンバート・ハンバートは純愛だ」「いや、あんな奴きもい」と大論争になったという話はちょっと面白かったです。論争すべきはそこではないのでは…、と。物理なんかやっているとそういう、主観と主観のぶつかり合いというのは起こりえないはずなので、未知の世界を垣間見た気がしました。
夜。ほねぬき印刷の人に二刷用校正を依頼していたのだけれど、それが終わったというので電話をした。ほねぬきに「旅人たちのとまり木」というお店紹介のページがあるのだが、ほねぬき印刷の人はこれが大層お気に入りらしく「やっぱりすごいよ、これ」と読み返すごとに私の筆力に圧倒されるという趣旨のことを繰り返し言うので、ついこちらも魔が差して「私の文章、結構面白いよね」と、本来の私なら絶対に言わないことを言ってしまったら、その驕れる心を打ちのめすかのように「アァ〜ン? 赤字たくさんいれてやろうか?」と、貴様の文章などその気になれば直しどころ満載なのだぞ、ということを言われて不愉快。おだてておだてて、人を浮かれさせたところを叩きのめす鬼畜の所業だ。しかし本当のところ、赤字をいれつつ、ところどころ「おもしろい」と自分の感想まで赤字入れてたそうなので、わけわかんない。本業の編集の仕事は大丈夫なんですかね。

*1:早稲田にあるカレー屋の名前

*2:理工キャンパス近くにあるカレー屋の名前