21歳のメンタリティ

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
新年明けて最初の日記のタイトルは「リハビリ期間を終えて」になる筈*1だったのだが、衝撃的な出来事があり、2006年を総括する余裕がなくなってしまった。マルタ滞在では私は経済的理由からシェアリング・ルームを希望していたのだが、冬季は学生数がどこの学校でも少なく、私の滞在している家にはほかに学生がいなかったため事実上シングルルームというかシェアリング・ルームを独占していたのだけれど、今日ついに新しい学生が到着。彼女は21歳で中国人で、本当は私がマルタに到着した翌日にはこの家に来るはずだったのだけれど、何やらビザ取得に問題があったらしくほぼ1ヶ月遅れで到着したのであった。ほとんど英語はしゃべれないらしくコミュニケーションは困難そうだけれど非常に感じの良い子で、漢字で筆談したり私の片言の中国語で挨拶したら大喜びしたりで幸先よさそう。他人とルームシェアはこれが初体験だが、何とかなりそうだと一安心。
彼女が荷解きをしている間、私はホラ、ベッドの上の住人なので例のごとくベッドで本を読んでいたのだけれど、何やら声をかけてきたので彼女のほうに目をやると、その手にあったのは大量のステッカー。…バービーちゃん(もどき)、そしてディズニーキャラクター(もどき)。部屋に飾るために中国から持ってきたらしい。そのとき感じた驚きは、

  1. その「もどき」たちの美的センス
  2. 21歳の女子が未だにそういうものを喜んでいるという事実
  3. 海外でも居心地よく過ごすための、しかし生活には不必要なものを運んでくる情熱と若さ

しかしそういうものが飾ってあったとしても別に私の生活に差障りがでるわけではないので、それらを飾ることを快諾。そして楽しく過ごすために親しくなるため共通の話題を探し、TVドラマの話へ。彼女は金城武が好きらしいのだが、面白いなぁと思ったのは、中国人にとっては金城武は台湾人であるということ。日本人は彼を日本人だと思っている、と思うのだが。彼の国籍がどうなってるのかは知らないけれど、へぇ〜といささか興味深く感じました。
幸先に不安を感じ始めたのは夕食時のことであった。まず最初に、私がどうしても生理的に受け付けられない事柄に触れると、それは咀嚼音と貧乏ゆすり。これら二つは本当にどうしようもなく耐え難くて、あまりに長い時間それらの事を目にしていると発狂しそうになるほどなのだ。で、彼女は夕食時にどうしていたかというと、片肘を大きくテーブルにつけて体を斜めにし、料理を直箸ならぬ直フォークで取ったところまでは、本当はあんまりこういう態度も好ましくはないのだけれど、まだいい。聞こえよがしなまでの音量の咀嚼音、これはキツかった。しかしお互い文化が違うのだからこの程度のことは耐えねば、と自分に言い聞かし、にこやかな表情で彼女の方に顔を向けると鼻の穴に鼻クソがついており、あ〜鼻クソ付いてんな〜、と思いつつも黙秘。だって言えるか?「あのもし、鼻の穴に鼻クソがついていますが」だなんて。見なかった振りをして会話を続けていると途中で本人、鼻の穴の状況に気づいたらしく、そっと右手の人差し指と親指とで取り除いたので、その取り除いたものをどうするのかと思わず見守ると、テーブルの上に彼女のフォークを置くために敷かれていたナプキンになぶりつけたのであった。鼻クソを人に見られても気にならないんですね…。
ところで川原泉「笑うミカエル」で、市井で育った史緒さんが実は元華族の家柄であることが判明し、貴族的に育った兄と貴族的な館で生活をし始め、ともに食事をしている最中に兄に向かってどう呼びかけようか迷ったシーンがあるのだが、彼女はこのとき「兄ちゃん」は自分にとってふさわしいが兄にふさわしくなく「お兄様」は自分にとってふさわしくない、ということで迷った結果言葉で呼びかけずにフォークで相手を指し、兄は唖然として点目になるのであった。ここで私は大いに笑ったことがあるのだが、いざ自分が、しかし先方は何の迷いも躊躇いもなくフォークぶらぶらさせながら指されると、いや絶句するもんですね。あの点目の気持ちを初めて真に理解した瞬間でありました。その後も彼女はいきなり「スーパー・マーティン」などと言いはじめ、誰だよそれは、と思いつつ「マーティンのスペルを教えてくれ」と言うと返答は「スーパー・マーティン、スーパー・マーティン」。多分スーパー・マーケットと言いたいのであろうと察し、そう質問してみると首を横に振りつつ「スーパー・マーティン」。埒が明かない、と軽くイライラし始めた彼女は電子辞書を取り出して自分の意図する単語を見せてきたのだが、それはやはりsupermerketであった。やれやれ。
夜、自分のPCを持参してきた彼女はずっと台湾ドラマをPCで見ていたのだけれどこれがかなりの大音響。すでに部屋の明かりは消してあり、多分もうすぐにでも寝られるように準備してあったのだけれどなかなか見終わらない様子。まだ会話もあまりできないようだし、きっと母国語が恋しいのだ、そして多少の不便はあろうとも、これが部屋をシェアすると言うことなのだ、あんまり気にしすぎてはいけない、と考えていたのだが、夜11時過ぎたころにあることに気づいた。…もう寝ちゃってる?? どうも寝息が聞こえるのだ。おいおい、このまま放っておいたら台湾ドラマオールナイトかよ。寝られないよ。かといって長旅で疲れている彼女を起こすわけにはいかないし、人様のPCを本人の了承なしに触れるのも気がとがめる。どうすりゃいいのか、このぶんだと中国語で夢見ちゃうよ。いやいやそれ以前に寝られないぞ煩くて。逡巡すること20分、気が付くとワタクシ彼女の枕元に立っていたのでした。お〜、やや夢遊病的。どうすんの?私。このまま何もせずに自分のベッドに戻ったりしたら、私は変態みたいではないか。人様のPCに無断で触ることと、客観的に見て変態的行動をとることを天秤にかけて、PCに触れる方を選択いたしました。はぁ、これでやっと寝られる。
しかし寝られなかったのである。全然。神経過敏になっちゃったのかなんだか分かんないけど全然寝られないの。こんなことではあと5週間の滞在をどうするのか、もうちょっとリラックスせねば、と思いつつ、ようやくウトウトし始めたのが午前3時過ぎだったでしょうか。午前5時には彼女、起きちゃったのだ。ほら、時差に慣れてないから。私もマルタにきた当初は午前3時とか5時とかに何度も目が覚めていたものだ。だから彼女が起きちゃったとしても当然なのである。ベッドから出た彼女が向かった先はバスルーム、つまりトイレ。あ〜部屋のドア閉めていかなかったなぁ〜、…おい、トイレのドアを閉める音が聞こえてこないぞ!? 状況にやや慄然し、固唾を飲んでいると「ブフォッ、ちょろちょろちょろ〜」という音が。放屁・放尿音…。*2
もう耐えられない、こんな状況が5週間も続くのは無理。胃が痛くなってきちゃった。はい、ということで追加料金を払ってシングルルームに変えてもらいました。はぁ。一晩しかルームシェアもたなかった。すべてが済んでしまった今となっては、結構面白い経験したな、などとは思いましたが、やはり最初からシングルルームを希望しておくのが無難であったかと。中国人全員が彼女の様ではないとは思うのですがね。ちなみにホストマザーによると、シェアリング・ルームを希望した日本人は私が初めてだったとのこと。皆さんちゃんと自分に合った部屋が分かっていたのですね。私も今回のことで大いに学びました。はぁ〜。しかし思っていた以上に、相手と自分の育った環境が違うことを認識した上で受け入れるということは難しいものでした。彼女にとって当たり前のことが私にとっては当たり前ではなかったというだけのことなのに、こんなに耐え難いものとは。習慣と言うものは意識せずにやっていることであるので、理性ではなかなか曲げられないものなのかもしれません。

*1:2005年に色々ありすぎて精神的に疲弊しきり無気力状態に陥ったため、2006年は1年間精神的リハビリ期間であったため。

*2:ちなみに、地域格差もあるかもしれませんが中国の一般的なトイレにはドアがないらしいです。薬膳料理を習っている母が研修旅行で上海に赴き、かの地の薬科大学で漢方の講習を受けた際、大学のトイレに入ったらうら若き女子が用を足しているところを目撃したことがあると言っておりました。