地上鉄のこと

午前中はゆっくりと過ごし、昼過ぎからモスタという街にある、世界で3番目か4番目に大きいというドームを見物に出かけました。無論一番大きいのはヴァティカンにあるのだけれど、どの人に聞いても2番目ないしは3番目が出てこないのが面白いです。ここのドーム、第二次大戦中にドイツ軍から爆撃されて、砲弾がドームを破って落ちてきたのだけれど不発に終わったということで「奇跡」といわれているのですが、ドームの大きさに圧倒されて危うくその砲弾を見逃すところでした。たまたま団体さんに出くわしてそれで砲弾のことを思い出したので良かったのだけれど。
団体さんにくっついてってこっそりツアーガイドの解説を聞いたところによると「近年では砲弾が不発に終わったのは、実はそれが当時ドイツの支配下にあったチェコ製で、チェコの人々がドイツに抵抗するために欠陥商品を作っていたためではないかと言われています」と。へぇ〜、と些か感心して帰宅してからホストマザーにその話をすると「そのガイド、絶対マルタ人じゃないわよ!そんなバカな話聞いたことないわ!」と。私としては「チェコ製→欠陥商品→不発」の方がリーズナブルで面白いと思うのだが、非キリスト者だからだろうか。
マルタの人々はヨーロッパの中でも信仰心が篤いことで有名らしく、たまたまモスタから帰宅すると「今からミサに行くから一緒に来ないか」と。やや疲れていたので休みたい気持ちもあったのだけれど、なんですかね、こう、クリスマスのミッドナイト・マスで感じた狼狽というか落ち着きのなさを克服したいと思ってしまい、今度こそミサの最中に余裕の振る舞いを発揮するぞ、とやや意気込んでしまったのでした。ばかねぇ、私。そんで教会についたらやっぱり「すみませんすみません、すぐ改宗します。日本に帰ったら即洗礼受けます」とか思ってんの。なんだか申し訳なく思ってしまうのですよ、信仰の場に異端者が紛れ込んでいるということに。彼らは全然気にしていないようだったけど。
私にとっては運がよく、この日はなんとバプティスムがあったのです。洗礼の瞬間に立ち会うことに。面白いね、あの赤ちゃん、洗礼前はキリスト教徒じゃなかったんだよ。私んちにいる9歳児は洗礼の瞬間、大泣きしたと聞いていたのでどうなることやら興味津々、と覗き込んでいたのだけれど非常にお行儀の良い子でまったくなかなかったのでした。というのも最近では洗礼にお湯を使ってるからなのだけれど。そのお湯を洗礼の台に注ぎ込む際に普通のステンレスのポットを使っており、そこだけ妙に現代的なのがやや面白く感じたのでした。
なんだか今日は宗教づいた一日だったが得がたい経験をして非常に満足、と満ち足りた気分で家路についたのだけれど、家に着いた途端に吐き気胃痛。もう死んじゃう。無理して夕食をとったのだけれど途中で我慢ならなくなって自室に引き上げたのだが、辛抱ならずに、…尾篭な話で申し訳ないのだが、ゲロ吐きまくり。幸いなことに私の部屋は個室で、室内にシャワー・トイレも設置してあるので誰の目も気にせずにゲロが吐けたのだけれど、途中、まあ心配してくれたのはありがたいのだが、中国人のバニラさんが私の部屋に突入、構わずトイレのドアも開けて「アー・ユー・オー・ケー?」と。自分がトイレのドアを閉める習慣がないからってあんまりだ…。ゲロ吐いてる真っ最中に「アー・ユー・オー・ケー?」と問われてなんと答えろと?「ゲロゲロオロオロオロ〜」。そんな音しか出せませんでしたよ。
ところで糞尿の話題を持ち出す際に「下の話」といったりするが、ゲロを吐くことを穏便に表現するために「上の話」という表現は可能なのだろうか?と疑問を持った際に、二十歳のころに疑問に思った「地上鉄」のことを思いだした。疑問のきっかけはというと「なに地下鉄って、変な名前。地下の鉄?じゃあ地上の電車は地上鉄かよ。いやいやそもそも電車というものは地上にあるのが状態であり、それが地下に作られたから“地下”と冠されて地下鉄になったのだから、じゃあつまりあれか?地上の電車はただの“鉄”か?」というもの。20歳の人間が考えることとしてはあまりにもばかげてるな…。鉄が鉄道の略であることに気づくのに5分くらいかかったのであった。あれから既に10年が経過しているのだけれど、時々、折に触れて「地上鉄」を思い出す。今回は「下の話」から「上の話」という語を導いた経路が「地上鉄」を導いた思考過程にそっくりだったので思い出したのだけど。つまりはアレですね。10年たっても思考の程度が変わってない(つまりは成長していない)ってことですね。…悲しい結論が導かれてしまった。