Written on the body

Written on the Body (Vintage International)

Written on the Body (Vintage International)

私が読んだのと装丁違うのですが。これは北米版ですかね。とてもよかったです。読んでよかった本だと思いました。ストーリーを簡潔に書いてしまうと詰まらん、というのはストーリー自体が面白かったわけではなかったからで、単純に筋書きだけ書いても私が感じたような面白さをそこからはまったく読み取れないだろうから、そんなもん書いても詰まらんのです。
一応これ、恋愛小説といってしまっても過言ではないと思うのですが、主人公の性別が明確になっておらず、過去の恋人について語る際に「ガールフレンド」とか「ボーイフレンド」とか両方出てきたりもし、日本語版の訳者も主人公の性別がわからんとかなんとか言っていたらしいのです。で、とあるサイトでは主人公の恋人が女性で、かつ著者が同性愛者であるということもあって「どう考えても女でしょ、ミッキーマウスのワンピース着る男がどこにいる」などと言っている人がいたり、私もミッキーマウスのワンピースのくだりでは「女か」とか思ったわけですが、しかし他のエピソードでは男の人っぽくも取れる部分もあり、そして次第と主人公の性別なんてどうでもよいと思うようになったということが私としては面白かったです。まあ著者は狙って性別が特定できない、どっちともとれるようにしたのだろうけれど、本質はそこじゃないな、と。そんでもって恋愛小説(というのは普段あんまり読む習慣がないのだけれど)などでは恐らく対外主人公もその恋人も性別が明確になっているのだろうという予測があり、しかし主人公が「俺は男だ」とか言ったりすることは稀であろうから、じゃあどうやって読者は性別を特定するのだろうか、などと考えたりしました。今回読んだこの作品は主人公の一人称で語られていて最後まで名は明かされていなかったので、名前が明確になっていない場合は性別の特定ができないわけだけれど、日本語で書かれていたりすると男っぽい言葉遣い、女っぽい言葉遣いをすることで性別が特定できるわけで、じゃあ特に男と女でさほど明確に言葉遣いに差のない言語で書かれた小説の場合、人々はどうやって性別を判断するのだろうか、とか、やはり多くの人は恋愛小説を読むにあたって主人公たちの性別が明確になっている状態が標準的であると感じるのだろうか、とか、もう全然考えがまとまんないや。
恋愛の当事者からしたら、自分と相手と、人として正面から向き合ってる場合に、自分が同性愛者であるとか異性愛者であるなどということは恐らく比較的にどうでもよくなることであり、その観点から小説を書こうとしたら、この作品みたいに主人公の性が読み手側に明確となっていなくてもそれは瑣末なことでしかないのではないか、とか思ったら主人公の性別なんて読んでるこっちもどうでもよくなっちゃったし、普段恋愛小説はあんまり読んだことはないとはいえ、面白いな、と思ったりしたのでした。何書いてんのか訳わかんなくなってきた。まあいっか。面白かったです。以上。