うちにはネコがいますので

昨日のことなのだが日記に書こうと思ったのに書き忘れたので今日書く。しかしわざわざ書くべき内容なのかと言うと全然そうではないのだが、そういうことを考えだすとこの日記の存在理由がなくなるのでまあいい。書きたいから書く。それでいいだろ。
何を書こうとしているかと言うと、昨日放送のNHKスタジオパークからこんにちは」。改めて書くと変なタイトルの番組だな。それはまあいい。ゲストが野村萬斎であった。野村萬斎が視聴者に向けて、よく狂言が分かりにくいということを聞くが、何が分かりにくいのかを教えてほしい、とFaxおよびメールをつのったところ、こんな質問が。

狂言では犬は「びょうびょう」と鳴いたと思いますが、ではネコはなんと鳴くのですか? うちにはネコがいますので

うちにはネコがいますので。ステキだ。なんと鳴くのか、までで十分なのについ付け加えてしまった不必要なインフォメーション。かなりのネコ好きとみた。家庭内がネコ中心に回っているに違いない。かくいう私も生活がネコ中心に回っている。昨夜などはネコに腕枕をしてやった。ネコが人間のように布団から顔だけを出して寝る様は愛らしい。しかしあんなに小さな生き物なのに腕枕をしてやると異様に重い。子泣きじじいか? 時間が経つにつれてどんどん重くなってくる。指先を軽く動かしてみたらかなり痺れているのが分かった。このままではハネムーン症候群になってしまう…。でも起こす訳にいかないしなぁ、と思う辺りがネコ中心生活者だ。ネコ中心生活者は極力自らの存在がネコの邪魔にならないように細心の注意を払うものだ。根底にあるのは「せっかく一緒に寝てくれているのに」。犬を飼う人だと想像もつかないのだろうが、ネコというのは根本的に勝手な生き物なので、こちらがかわいい、かわいい、とかわいがろうとしても気が向かなければやや軽蔑気味にこちらを一瞥するのみだったりする。だからネコが自らこちらによってくるとなったらもう大変。失礼がないように、と気遣ってしまうのだ。だから今も、私が座っている椅子でのびのびと寝ようとしているネコに気遣って半ケツ、いや四半ケツ状態でいる。ちなみに昨夜はネコが一瞬目を覚ました隙に腕を抜いた。そうしたら当てつけのように起きてしきちんとした格好でおすわりされたので、こちらはごめんなさい、ごめんなさい、となだめるように背中を撫でてことなきを得た。
昨日、今日と古いデータをMacに移しているのだが、問題が一つ。修士論文のデータが移せない。というか修論が焼いてあるCDはWindowsじゃないと開けないらしい。今更修論なんて見直すこともないしどこかに提出するなどということは確実にありえないのだが、あんなに辛い思いをして書き上げた修論のデータがダメになったかと思うと言葉が出ない。どうにかならんものか。やっぱvistaもインストールしないとダメかね。困った。