数字の計算が苦手

昨日書いた『ペルセポリス』のことだが、思い返すとやっぱりいい出来だったような気がする。見て損はないかな。大人のアニメだな。
最近俄に旅行熱が高まっており、仕事中も旅行のことしか考えられない。あと3ヵ月働いたら何ヵ月海外に出ていられるかな、一日の予算をどれくらいにしたらいいかな、などという計算ばかりしている。でも間違うけど。数字の計算ニガテだから。あのねぇ、かねがね思ってたんだけど、理系ってだけで暗算が得意と思い込むのはほんとやめて欲しいね。特に文系ばっかりの職場にいると理系出身というのは本当に知られたくないことで、何も悪い事をしていないのに後ろ暗いところのある人生みたいになってしまうのだ。いい加減『理系=頭がいい』という社交辞令はやめたほうがいい。どうせ本心から頭がいいとは思ってないくせに。おおかた『自分には理解できない、遠い世界の人間』って感じで引いて見てんだろ。
というのは完全に被害妄想で、そんな態度をとられたことは最近ではあまりない*1のだが。ただ本当に、理系と言って『すご〜い』とか『頭いいんですね〜』と言うのは、心にもないにしてもヤメて欲しい。返す返すも、私は暗算がニガテだ。というか、数字の計算全般が苦手。高校数学的に表現するなら文字の計算なら出来るのだが。ちなみにどれくらい数字の計算が苦手かと言うと、『46+37』を計算したら結果が『73』だった。数学じゃなくて算数をやり直したほうがいいらしい。
で、旅行熱の話である。人に勧められて沢木耕太郎の『深夜特急』とか読みはじめたもんで、ますます東南アジアを旅したい気分で一杯である。今、すぐに旅行できない分、旅行記を読むと言う代替行為で自己の欲求を昇華せんとしているわけだが、最近黄色い本屋*2で手に入れたある人の旅行記を風呂場で読んでいて少し哀しかった事。筆者は英語が苦手らしく巻頭に、文中では流暢に英語を喋っているように見受けられるシーンがあるが、実際にはそんなにスムーズに会話は進んでいないので、会話はそれらを要約した結果であるので決して筆者が英語に堪能であるように錯覚されないように、と注意書きがある。で、文中では行われている会話がだいたい日本語で書かれているのだけれど、たまに実際に話した英語をカタカナ書きでかかれていることがあり、それが文法の苦手な私ですら分かるほどに間違っているのである。それに続いてカッコに日本語訳が入っていて、「この人は、こういう風に英語で言いたかったのだな」と思ったら哀しくなった。こういうこと、私も多々やってるんだろうな、旅先で。言いたい事を言えてるつもりで間違ってるのである。それを『旅の恥はかきすて』と言うように、現地の人にしか知られないのなら要するに自分が間違った事を永遠に知られないで済むので然程恥ずかしくないけれど、なんか日本人に知られると恥ずかしいのである。少なくとも私はね。そこが語学が上達しない原因かも知らんけど。要するに見栄っ張りっちゅうことだな、ちっちゃい話だが。
ということでその間違った英語を書いてた人を見て自分を見ているような気がして哀しくなったわけだが、語学上達のためにはその人くらいになりふり構わず喋った方がいいのかもしらん、自分はいかにも見栄っ張りでつまらない人間であった、せっかく旅行するのであればこんなことではいけない、旅行をしたって何の意味もない、ただの金の無駄遣いである、とまでは流石に思わなかったが、若干自己のあり方に対して反省したのであった。

*1:学生時代にはあった。たまに同じ大学の文系の人からそういう態度をとられたのだが、どうもその人は理系コンプレックスがあったと見受けられ、その反動で妙な態度をとられて困惑した事がある。

*2:ブックオフの意。