本を購入する基準

これまで長いこと、読みたい本は購入して読むようにしていたのだが、今年の春ころから図書館が非常に便利である事に気づき、かつ、一度読んだら二度と読まない本が多々あることから、最近では読みたい本は軒並み図書館で借りるようにしている。漫画も最近では漫喫を利用するようになったし、おかげで本関係の出費が非常に押さえられるようになった。というか最近全然買ってない。
とにかく図書館でどんどん借りられるので、次はなにを読もうか、などと考えていると、しばしば昔読んだ本のタイトルを思い出すことがあり、気づいたのだけれどこうして思い出すことのある本は買う価値のある本なんじゃなかろうか。というわけで先だって読んだラシュディ『真夜中の子供たち』なんかは欲しいわけだが、もう普通には売ってないのだな、これが。
現時点で手に入れたいと思っている本は他に、『てぶくろを買いに』、『生ける屍』、『ゼンダ城の虜』、『夏への扉』、『あおい目のこねこ』、『黒ネコの王子カーボネル』などなど。こうして挙げてみると、なんだか滅茶苦茶だな。そして子どもの頃に読んだ本が多いのも不思議だ。ひょっとして私、もうじき死ぬんだろうか。こんな、子どもの頃のことなど思い出すなんて。ちなみにここに挙げた本(ラシュディ以外)は確実にかつては所有していたのだが、子どもの頃の本はひょっとしたら「子どもの本なんていらないでしょ」と淘汰されている可能性大。すぐ捨てるんだよ、あの人。捨て魔だな。
そんなこんなで今日は新宿のジュンク堂の絵本コーナーに行ったのだが、俄にうちのやつが「オレ『長靴をはいた猫』が欲しい」と言いはじめた。この人がこんな、自ら本が欲しいと言うのは稀なので、本に然程興味をもたない子どもが急に読みたがったかのように感じられてしまい、「いいよ、私が買ってあげるよ」と言ってしまった。所得ないクセに。結局あまり状態のいいものが見つけられなかったので購入は見合わせたが。
何かを調べようと思い、日記を書いている途中でウィキペディアを見始めたらリンクのそのまたリンクを読みはじめ、気づけば何故か大蟻食さまの新刊がいつ出るかを調べており、ふと我に返って日記のタブを開いたら編集中になっていたので仰天。日記書いてる最中だったことを忘れていた。何の為にウィキを見始めたのか分かんなくなっちゃったぞ。あー、思い出した。私が子どもの頃に持っていた『長靴をはいた猫』は澁澤龍彦訳だったが、今日ジュンク堂で購入しようか迷ったのは矢川澄子訳で、おー、元夫婦で同じ作品訳してんじゃん、となぜか感心して矢川澄子をウィキで見始めたのであった。大変な夫婦関係だったのですね、知りませんでした。
そうこうしているうちに明け方の4時に。もう寝ます。寝られないけど。外が明るくなって、セミが鳴き始めるまで寝られない。そして起床は13時半。自堕落な生活を満喫中。