『特技がない』と卑屈になる

ふと、私にはこれといって何の特技もないことに気がついた。得意科目もなかったし。苦手科目はあったが。体育。大学に入学し、2年時には体育の授業がなくなることを知ったときには小躍りしたものであった。履歴書に得意科目などの欄がある場合は不承不承『物理・数学』と書いたものだが、大学入試ん時は物理が一番点数が低かった。国語よりも英語よりも低かった。あー、書いてて気づいたのだが、私はまるで求道者だな。一番の不得意科目を大学の専門に選ぶなんてさ。自虐的傾向はこのころからあったってことか?
ともかく、特技が何もないことに軽く傷つき、加齢によるふてぶてしさか「きっと世の中、特技のある人のほうが少ないよ。たいていの人は何も人に誇れるようなところなどないさ」と無根拠に思い始め、手始めにうちのやつに何か特技があるか確認してみると「あんまり動揺しないこと」と即答。私に特技がないのにこやつに特技があるという事実にカチンときて逆ギレ。どうせ私には何の特技もないよ。どうせダメな人間だよ、と言うとフォローなのか「あるじゃん。放浪癖」と言われた。そんなものは特技などではない。大体海外旅行なんて多くて年4回だぜ。そしたらやつの言う放浪癖とは海外旅行のことじゃなかったらしく「一時期よく家を脱走してたじゃん。始発の山手線を一周したりさ」と。あー、そんなこともあった。深夜に24時間営業の本屋でやつに見つかり強制送還されたりな。あれは特技じゃなくて全部ラム酒が悪いんだよ。ラム酒を飲むとなぜか体がうわっついた感じになって家を出たくなるのである。ラム酒を飲まなくなった今、放浪の癖など皆無といえよう。そしてそもそも『放浪癖』は文字通り癖なのであって特技ではない。
内心では密かに、何かステキな特技をやつが見つけてくれるのでは、ホラ、人の美点は本人より他人のほうが目に付くことってあるし、と期待していたのに裏切られ、結局私には特技が何もないままである。どうせ私は無益な人間だよ、と卑屈になったところで思い出した。あー、私ってば全財産を使い切るのが得意じゃん。過不足なく使い切るんだぜ、すごいよ。
こんな特技なら、ただ無益なままのほうがマシだ。