これってモラハラ?

うちのやつと会話をしつつ食事をしていると、話題に関連した記事がある、というので食事を中断しおもむろに雑誌を取り出して読みはじめたので「食事が終わってからにしなさい、子どもが産まれたら教育上悪いでしょ」と言うと「そういう自分こそその座り方はなんだよ」と珍しく反抗的な態度をとってきた。椅子の上でアグラかいてたので、まあお行儀が悪いわな。しかし「私に歯向かうとはいい度胸だなぁ! 私はすでに食べ終わっているし、これは出産の際に安産になるようにと股関節を柔らかくしているのだーッ!」と言うと「すみません」と。「でも『歯向かう』ってその言葉遣いの方が教育上悪いんじゃないの?」と。確かにモラハラの予感がする。
しかし私が今、一番心配しているのは自身のモラハラではない。土曜日の部活の時、ちるさんに「男の子と女の子とどっちがいい?」と言われ、あんまり今まで考えてなかった問題だったので改めてその場で考えてみると、一瞬だけ「女の子がいいかな」という気がしたのだが、もっとよく考えたらどっちでもよいことが分かった。そしてもっと考えると、バカな子でもブサイクでもどうでもいいことも判明した。要するにどんな子でもどうでもいい。五体不満足かも知らんが、それもどうでもいい。だってさ、親があれこれ「ああなってほしい、こうなってほしい」と思ったところで、大概親の思惑通りにはならんでしょうが。ブサイクに産まれてきてガッカリしたら子どもが可哀想だしさ。まだ胎児だけれど、すでにこの世に我々の子どもは存在しているわけで、それがどんな人かは産まれてこないと分からないのだから子どもに対する願望を色々抱いても意味ないでしょ。願望抱いたからってそれが反映されるわけでもないんだから。私にできる事といったら、産まれてきたらどんな子でも「ウェルカム!」って言ってあげる事くらいでしょう。
だけど、そうはいってもやはり心配な事はある。子どもがうちのやつの性格に似ちゃったらどうしよう〜。この日記を読んでいる人はどうもうちのやつのことを「よくやっている」と高評価しているようだけれどさ、実際はあの人、私の事をうまい具合にやり過ごしているだけですよ? 子どもがそんなやつに似てしまったらどうしよう! 私が何かわけのわからんことを言っても二人揃って適当にやり過ごすんだよ。自分の家なのにすごく居心地悪い。孤立無援じゃん。だから私がモラハラかっていうのは最早どうでもいいんだよ。だって、何言ったってどうせやり過ごされるだけなんだから。お釈迦様の手の上から出られない孫悟空の気分だ。
かといって私に性格が似るのもイヤだ。だって、私みたいなのが二人って、面倒くさいじゃん。やだやだ、そんな家。疲れちゃう。もう子どもには、誰にも似ない奇想天外な性格になってほしい。って子どもに対して願望抱いちゃってるじゃん。自家撞着に陥った。おかしい。どんな子でもいい、というのは本心だった筈なのだが。