tutti i miei vestiti sono sporchi.

フィレンツェの語学学校にて。会話の授業で出されたお題が「お互いの悩み相談をしましょう」。私のクラスは約半数がスウェーデン人であったので、会話で同国人でペアにならないためには非スウェーデン人は必然的にスウェーデン人と組むことになってしまうのだった。私がその日会話した一人目の女の子もスウェーデン人で、23歳にして離婚歴2回の一児の母、話せる言語は5ヶ国語で日本に住んでいたこともあるというかなりめちゃくちゃな女の子だ。その彼女の悩みといったら、
「別れた夫が'寂しい'、'やりなおしたい'と毎日電話してきて、そういわれると私も寂しくなるのだが別れる前私たちは毎日喧嘩で最低の日々を送っていた。どうすべきか?」
大して親しくもない外国人にこのように相談を持ちかけられた際、あなたならどのように答えるか?凡庸な日本人である私は気の利いたことなど一切言えず、誰でも思いつくような毒にも薬にもならない返答した。つまり役立たず。そして二人目の女の子の相談、彼女も同じくスウェーデン人で21歳。物凄い金髪の持ち主である。相談の内容は、
「私の持っている全ての洋服は汚い。汚れている。どうすべきか?」
どうもこうもないダロ、洗えよ。とは思ったけれど洗える状況下ならこんなよくわかんない東洋人になど相談してる場合じゃなく、さっさと洗っているだろう。きっと余人には計り知れぬ理由があるに違いない、そのように判断した私は「じゃ服買えば?」とブルジョワ発言。呆れたよう首を横に振りながら失笑されてしまった。お話になんないわ、このバカ娘、そんな顔をされた気がする。
それにしてもスウェーデンではこのような悩み相談はノーマルなのであろうか。一人目で十分衝撃を受けたが、まあ日本にだって探せば若くして何度も結婚と離婚を繰り返してるインテリ娘だっているだろうし、そういう人生を送ってきたらそんな悩みももつだろう、と私なりに理解を示すことができる。しかし二人目はどうか。持ってる服が全部汚いって、どうしちゃったの?しかも悩みを切り出す前に散々もったいぶって「私の悩みは本当に重大だ」などとへらへら笑っていた。価値観の多様性に今更ながら驚いた次第である。しかもあれから1年たってるのに唐突に今頃そんなこと思い出してるし。