恐怖のレッスン

新宿のとある喫茶店(←あの店をそう表現してよいのならこう表現できるが実際には喫茶店以上の空間である)で小学校低学年くらいの男の子が母親と思しき女性と算数のお勉強をしているのを見た。大抵の人は二人連れで店に入る場合に向かい合わせに席に付くだろうが、その親子は横に並んで座り懸命に勉強していたのだ。しかしその母親の舌鋒の鋭いこと!こんな幼少期からこんな言葉にさらされてたら胃に穴が開いちゃうんじゃないかと思ったりもしたが、恐らく彼にとって母親のそのような言はいたって日常のことなのであろう。断っておきたいのは母親の発言の内容が、根拠もなくしかりつけるようなものではなく非常に理詰めである点である。ああまで理詰めにやられたら子どもは息がつまるんじゃないか?そして勉強に熱が入れば入るほど子どもは母親のほうに身体がどんどん近づきのめりこむようにノートに向かうのだが、その時母親は「もっとあっちいってよ」と一喝。スゲー、我が子にあっちいけと言える母親を私は生まれて初めてみた。
かねがね私は本来友達と遊んでいればいい時代にここまで勉強させられると大学生になった頃にはきっと勉強なんか嫌いになってしまう、知識を得る喜びを知らない大人になってしまうではないだろうか、と私は危惧しており、そのような教育は間違っているとさえ思ってきたのだが、ここに来てその考えの誤りに気づいた。日本の社会で成功するには勉強なんか純粋に好きになってはいけないのだ。そんなんじゃせいぜい、良くて学者くらいにしかなれない。いや、学者も無理かもしれない。新たな知識に感動なんかしてたら日本の会社で働くのなんて苦痛だろう。だからちゃんと大人になる前に、勉強に対して「楽しくないがのし上がるためにひつようなもの」という認識ができると社会でうまくやっていけるのだ、要領よく。だからあのような教育方法は立派な日本人になるためには必要不可欠なんだろうなぁ。