スタンプラリー

こんな企画がある。
「渋谷・松涛の美術館スタンプラリー」http://www.bunkamura.co.jp/all/stamprally/index.html
なんて企画だ。美術館でスタンプラリー?面白そうじゃないか。しかも美術館には入館しなくても良いらしい(←意味あるのだろうか?)。スタンプラリーといえば院試である。いや、世間の人にとっては違うだろうが、私の中ではこの二つは密接な関係がある。
私が大学4年の夏、9月には院試を控えた8月の末のある日のことである。世の中じゃ皆夏休みだとか生ぬるいことをいって遊び呆け、白痴に磨きをかけている頃だ。私は一人大学に赴き量子力学なんぞを勉強し、非常に陰気な夏を送っていたのであった。大学への道すがら、英文科の友人に行き逢った。夏を夏らしく過ごさなかった私は半ば死霊と化していたのであるが、その友人と来たらえらく能天気な顔して「これから都バスのスタンプラリーに行くんだ〜」などとのたまったのだ!悔しかった〜、あの時は。スタンプラリーなんぞに魅力を感じたことなど一度たりとも無かったが、このときばかりは非常に魅惑的な響きをたたえていたのだ。人がクソ面白くもない院試の勉強をしている真っ最中だというのに!!私はいつかスタンプラリーをしてやろう、そして彼女が2月に院試を迎える頃には何か目の前で面白いことをしてやろうと心に誓ったものであったが、前者は兎も角後者は不可能であった。なぜかって、2月はこっちだって卒業研究の真っ最中であったからである。そんな人に嫌がらせしてる場合ではない。寧ろ院試の時よりも状況は悲惨であった。家には帰れないし、泣きながら研究をやったものであった。
それはさておきスタンプラリーである。その一件があまりに悔しかった私は翌年から自分の誕生日(8月)には都バスのスタンプラリーに行くようになった。一人では流石に恥ずかしいので当時付き合っていた人物を無理やり連行して、である。この習慣は3年続いたが、その彼氏との縁が切れると同時にスタンプラリー文化も終焉を迎えたのであった。なんでって、普通いい大人はスタンプラリーなんかやらないからだよ。もう誰もこんな遊びに付き合ってくれないのだ。でも、都バスのスタンプラリーを大人が一人でやって、ゴールでドラえもんバッヂを貰っていたら頭がおかしいと思われてもいたし方がないが、松涛美術館スタンプラリーなら文化的、芸術的ということでごまかしがきくと思われる。しかもこれに参加している美術館のうちの一つは今チェコの彫刻家の作品を見せているらしい。こりゃ見に行かねばならんだろう。久々のスタンプラリーに私の胸は躍るのであった。