文学フリマ再考

青山で開催された文学フリマに対して心惹かれるものが無かったことについて考えてみた。先入見に基づいた判断なのだが、「青山で文学」=「文学すらもファッション」みたいに思えたってことだ。なにかの雑誌の表紙に万年筆が使われているのを見て中身を確認せずに危うく買いかけたのだが、これもファッション万年筆であった。ここでいうファッションとは自分を格好よく見せるための小道具という意味である。青山で文学とか言われると、命がけで神経すり減らしながら文学やってるというよりは文学やっちゃってる自分って知的でイケてる、みたいな自意識を感じてしまうのだ。命がけで文学やってます!という押し付けがましさも嫌だけどさ。
しかし秋葉原というのはいいね。他人の目に映る自分の姿を意識していない感じがする。実際のところどういった人種がこのようなイベントを喜ぶのかは想像するしかないのだけれど、青山でやるよりは変な人が多く来そうで期待が持てる。一度も経験していないものに対して思い込みで評価したままでは面白くないから今年こそは行ってみよう。