自分に無いものに対する憧れ

う〜ん、どうしたものか。分かってしまった。自分のことがいろいろと。とどのつまり私は「山猫」サリーナ公爵令嬢とおんなじだったのだ。名前が思い出せないので調べたらコンチェッタだった。変な名前。コンチェッタったら絶対相手にされないのなんて誰の目にも明らかなのにタンクレディ(こっちももっと変な名前)にご執心で、この映画を初めて見た二十歳の頃は私も今より相当嘴が黄色かったので「なにこの女うぜぇ」くらいに思ったものだった。だって、全然人間の種類が違うのになんで好きになるわけ?相手からしたら自分が全く魅力的じゃないことをなんで自覚できないの?ほんとうざいし押し付けがましい。しかし今の私は完全にそれ。相手にされないって分かっていても好きになっちゃうのだ。自分に欠けてるものに対する憧れなのだ。単純すぎる。私が秋葉原が好きなのも、オタクに憧れるのも、水曜のワインの座で知人に紹介した文章に私が心惹かれるのも全部同じところに根っこがあったのだ。根っこが見えてしまえば後は簡単、論理力万歳だ。
水曜日に私は知人に、何故その文章に心惹かれるのかまともな説明をすることが出来なかった。一生懸命考えても相当酔っ払ってたし何喋ってるのかも良く分からなくなってしまって、挙句の果てに相手はこっちのことなどお構いなしに自身が何故ウェブに載っかった文章を楽しめないのかその理由を一人勝手に見出してたし、本当に自己完結二人組である。私はその人に説明したいというよりは自分自身が魅力に感じるところのものが何なのかを明確にしたいという欲求にかられ、あれこれ考えた結果がこうである。つまりその文章の書き手には読み手に対する媚が一切みられなかったのだ。このスタンスを私は持ち合わせていない。
実を言うと、ウェブに日記を載せる際に私は若干考え込んだものだ。本来日記とは他人に対して秘するところを記す場である。人によってこの日記に対する定義は異なるのかも知れないが、少なくとも私の場合はこの定義に基づいている。ピープスなどもこの例にあたるだろう。それをあろうことかウェブになど載せて不特定多数に晒すとは何事か。しかし私の中には確実に「ブログやってみたい」という欲求があるのだ。この自己矛盾(ブログ欲求は要するに自己顕示欲なので自己矛盾には当たらないことに今は既に気づいている)を抱えたままどのようにして文章を書くべきか大いに途惑った。完全に他者とは隔絶し自己に向かって文章を書くべきか、それとも第3者に読まれることを意識して書くべきか。それが判然としないから日記タイトルだって決められない。ただでさえ命名は苦手なのに、自意識出ちゃうから。ということでとりあえず当面は他者を無視した状態で見切り発車しようと決断したのが3ヶ月前である。絶対に他人を意識しちゃダメ、だから他人には読み取りにくいことでも自分にとって分かっていることは説明したらアウト。説明口調になったら私の負けである。だからこのパラグラフの冒頭で「実を言うと」と書いているけれど、これも本来ならアウトである。実を言うと、って一体誰に向かって言ってるんだよ、という話である。
しかしだ。何でそんなに第3者の目を意識するわけ?公開してるんだから読まれることを前提に書きゃいいじゃん。なんでそれが出来ないの?と自身にこの疑問をぶつけてみたところで出てきた答えが「媚」である。他人に読まれることを意識すると私の場合、文章力を評価されたい、面白いと思われたい、という欲が生じ、その結果読み手に媚びることになる。読み手側が具体的な誰かなら、その人にとって面白い文章を書けばいいので「媚」は生じないし寧ろ狙いが定かなのでこちらとしても戦略を練る喜びがある。誰だか分からない未知の人物に読まれると思うとその途端に媚び、更に言うなら「人に見られたい理想の自分」を演じる羽目になるのだ。この自意識が強烈に苦しい。もう恥ずかしくて死んじゃいたくなる。高校時代なんかもう本当に最低だ。当時の私には夜な夜な一人文章を書く習慣があったのだが、これがもう翌朝になるともう見事なまでに駄文。いや駄文ならまだいい。自意識過剰自己陶酔文章だ。酔って酔って酔いまくりだ。明るくなってから読み返すたびに本気で誰か私を殺してくれと念じたものだった。クィーンの曲に "too much love will kill you" という曲があるが愛情なんかで死んでる場合じゃない。自意識過剰で私は死ぬのだ。自意識過剰なことに無自覚な人を見ると私は死にたくなるが、それはつまり「こんな人が存在する世の中に自分が存在するのは耐えられない」ということだ。しかし自分の自意識を目の当たりにすると自分が世の中に存在していることが申し訳なくなる。ほんとごめんなさい。
で、やっと話は元に戻るのだが、他者を意識するだけで嫌でも媚びてしまう自分に対し、私が魅力を感じた文章の書き手は全く媚びていないのだ。媚どころの話ではない。一度などは自分の読者に向かってバカ読者と言い切っていたのだ。これぞ私に欠けている要素だ!なんという魅力。自分に無いものに対する憧れだったのだ。コンチェッタごめんなさい。うざいって言ってごめんなさい。悔い改めます。タンクレディ(=アラン・ドロン)に憧れるほうがオタクに憧れるより全然いいです。全然まともです。私はいつからこんなに捻じ曲がってしまったのだろうか。倒錯した愛。