自意識過剰で死んじゃいそう

文学フリマで私が買ってきた本を書いていた人々に私の日記が読まれていたことが発覚。はぁ〜、ほんと死んじゃいたい。なんてバカなのだろう、私は。同じはてななんだから見つけられたっておかしくないじゃないか。ちょっと考えれば分かることなのにほんとに愚。高校時代に文芸部で私が犯した失態を再び繰り返した気分。あの時は書いた者の名を伏せて書評したのであった。部員の中の誰かが書いたであろうことなど考えなくともすぐに気づきそうなものだが、もともと他人の存在があまり見えていない私にはそれが非常に困難であったのだ。割と面白く読めたにも関わらず思い切り的確にその作品のどこがダメか述べ、そのこと自体は後悔していないのだけれど最後に褒め言葉として「まあこれだったらコバルトくらいでは賞取れるんじゃん?」と言ってしまったのだ。けなすつもりの「コバルト」なら言われた相手も然程傷つかなかったと思うけれど褒め言葉で言っちゃったからなぁ。後日、私がその作品についてクソミソに言ったその場に書いた本人が同席していたことを知って自分の浅はかさに死にたくなったものだ。
いや別に今回はけなしたわけじゃないから申し訳なさというのは勿論存在しないのだけれど、相変わらず他人が見えておらず自分しか見えていない私自身に失望というかほんと恥ずかしい。幼少期、私は私の精神世界が自身の体の外側までずっと永遠に続いているものであると認識しており、したがって絶対的な自我を持つものは私のみで他人には人格を認めていなかった。テレビを見ているように世界を見ていたのだ。小学4年のときにその世界観が誤りであったことに気づいたけれど、相変わらず他人の目に気づくのが苦手なのだ。はぁ〜、見られてましたか。全然思いもしませんでした。自分だけ一方的にそちらのことを見ていると思っていました。どうやったら直るんだろう、この癖。
蔭山さんという方の心当たりのとおりです。あのマフラー一体型セーターみたいの着てた陰気な女です。こちらは自意識過剰で死にそうなだけで、そちらでのやり取りで気分を害したりはしていないのでお気になさらないでください。私の書いた文章が「べた褒め」と解釈されるということ自体が私にとっては意外でちょっと面白かったくらいです。下のほうで素人と書いてますがあくまで技術的な面についてのコメントです。どのような内容のものでも文章力次第で面白くもつまらなくもなると思っておりますので。読ませていただいた幾つかの作品について、どこを良いと思い、どこを変えたらもっと良くなるか(当然ながらこの“良くなる”というのは私のごく個人的な尺度によるものなので普遍的な意味で書いているのではありません)、などなど具体的に感想を持つことが出来たのですが、前日の日記にも書きました方の作品については何故自分が心惹かれるのか全然分からないんです。あまりにも分からな過ぎるので毎日Juniper持ち歩いてます。本当に買ってよかったと思うし、下のほうにも書いたけど他のブースがイマイチだっただけに、これを買えたことで文学フリマに行った甲斐があったとも思います。ちなみに昨日書いた、10回以上も読んだ好きな部分は「フンと唸って鼻から瘴気を出すと」から「アキラは気絶した」までで、今日は「キンタ先輩が四中で飼っているウサギを食べた」が好きでした。でも何で好きなのかが全然わからない。
はぁ、もうダメ。恥ずかしくてもう死んじゃいたい。ここまで強い羞恥心そのものが自意識の強さを物語っていて、そのことで更に死にたくなっちゃう。もうこのブログやめちゃおうかと一瞬思ったけれど、この恥から逃げずに業を背負ってこのまま生きてゆきます。