猫カレンダー

岩合光昭の猫・週めくりカレンダーを購入した。カレンダー如きにお金を使うなどという事は愚の骨頂だと思っていたにも関わらず。世の中にはアイドルなどのカレンダーをクリスマスプレゼントに選ぶ人間が意外にも少なくないと知ったときは愕然としたものだ。だってさぁ、カレンダーなんかそう遠くない将来ゴミになることが決定されているものなんだよ。ゴミにお金払ってどうするの。将来的にゴミになるものプレゼントしても切ないじゃん。それに私のように物を捨てられない人間は結局ゴミを出すのが嫌なためにカレンダー捲れなくなるのだ。
それからカレンダーという文化にも一言あるのだ、私は。いくら好きなタレントとは言え夜中に目が合っちゃったら怖いだろう。そして動物カレンダーといったら可愛いものばかり。動物というものには子どもしか存在しないのか。大人を使え、大人を。カレンダーシーズンが到来してうちの店にも商品が並ぶようになった頃「かわいい動物たち」というタイトルのものを見つけてカチンときたこともあった。かわいいとか言って、なにこれ。じゃあ「かわいくない動物たち」も作ればいいじゃん。
しかし岩合光昭を買ってしまった。ただこの行為は上記の内容と矛盾するものではない。なぜならまずサイズが卓上で、捲るといっても破り捨てるタイプのものではないという事。写真が気に入ったのなら保存することも許される仕様である。それから撮影された猫たちは殆どが野良であり大人である猫なのだ。媚びた顔など決して見せず、寧ろヘンな顔をしているものが多い。そこが良い。机の上に置いて一週間のスケジュールを簡単に書いたり、作業の合間にヘンな顔の猫たちに癒されたり。だったら1000円払っても惜しくないだろうという判断なのだ。
ここまで書いて致命的なミスを犯したことに気づいた。スケジュールとか言って、書かないじゃん。手帳すら使いこなせてないし。終わった予定書き込んだりしてるし。大体予定なんて暗記できちゃうから記録する必要ないんだよ。それに机で作業とか言って、作業が可能な状態じゃないじゃん。それに作業することもないじゃん。机に向かって一体何をするというのだ。居眠りか。
カレンダー以前の矛盾を犯してしまったことが明らかとなったが、これも一つの経験として前向きにとらえていきたいと思う。ところでカレンダーと言えば去年は氷川きよしが怖いくらいに売れた。一人で複数買って行かれる方も多かった。年配の女性3人を引き連れた年配の男性が女性陣に一人につき一本、きよしカレンダーをプレゼントしていったこともあった。そんなきよしだが今年は残念ながらさっぱりだ。だって購買層が完全にヨン様とかぶっちゃってるんだもん。去年のきよしと同じくらいの勢いで今年はペ・ヨンジュンが売れている。韓流ブームのしわ寄せが氷川きよしに来るとは思わなんだ。ちなみに私はペ・ヨンジュンと誕生日が一緒です。