ディズニーランドについて少々

昔々、私がまだ学部生だった頃にだな、私と交際したいと申し出る者がおった。私としてはその人物は、その存在は認識しているものの私の関心の対象外で、精神的には私の世界には存在していないようなものであった。いや別にその彼がどうって言うわけではなく、あんまり男の子に興味なかったんですよ、その当時。男の子の気を引く努力をする暇があったら絵を見たり映画観たりオペラ行ったりするほうが断然楽しかったからだ。学校サボタージュして一人で神保町ぶらぶらして喫茶店で珈琲飲んでる方が楽しかったのだ。ここまで書いて気づいたが、今も殆ど当時と事情が変わってないな・・・。
そんな私であったが、ここで彼の申し出を断ったかと言うとそうではない。その対象がどのような人物か知る機会も設けずに良いか悪いか判断することはできないし、当面は様子見程度で申し出に対して合意したのだ。その瞬間である。
「じゃあ今度ディズニーランド行こうね!」
彼とは長く続かないだろうな、そう直感した瞬間であった。そして実際、3日と持たなかった。持つ、なんて言葉使ってる場合じゃない。前言取り消します、このお話はなかったことにしてくださいとお願いしたからな。断っておくがディズニーランドに誘ってきた所為で3日と持たなかったわけではない。他にも価値観の相違が見られたからだ。しかし今はそれについて考えたいのではない。ここでのテーマはあくまでディズニーランドだ。
私は「恋人が出来たらディズニーランドに行く」という図式に見られる、「とりあえずビール」的な主体性のなさがイヤなのだ。だからディズニーランドの存在そのものを否定しているわけではない。あれはあれでそこそこ楽しめるものなのではないかと思う。例えばジェットコースターを乗りまくっている人がその経験値を上げるためにディズニーランドに行くことにし、それに恋人を同伴するという場合などは全然イヤじゃない。要するに、何か行動する際にその行動の対象が目的なのではなく、その行為をしている状態に自分を置くことが目的になっているのがイヤなのだな。だから上記の図式は「ディズニーランドを楽しみたい」じゃなくて「ディズニーランドに恋人と一緒にいる自分が好き」なのだろう。純粋じゃないよ、そんなの。本当に彼の地のアトラクションが好きで好きで堪らない人々がスムーズに乗り物に乗ることを妨げてるじゃないか。
これは別にディズニーランドにだけ当てはまるのではない。例えば美術館なんかでも多く見られる。佐藤亜紀の言葉を借りるなら「おカルチャー」してる人々だな。絵が好きで見てるんじゃなくて「絵を見ている高尚な自分」が好きなんだろ。そういう事をしちゃダメだと言いたいわけではないし、そういう連中だってやりたいようにやればよいと思う。自由だもん。だから私も自分の意見を言う自由があるので言う。邪魔なんだよ、そういう手合いは。絵の前で子どもの受験の話なんかしてるんじゃないよ。興味ないなら来るな。
フィレンツェ住んでたときウッフィッツィで耳を疑うような発言を聞いたことがある。日本人の団体旅行客がいたのだが、添乗員がレオナルドの絵の前で技法について若干説明した後こうのたまった。
「この美術館はこの絵とボッティチェリ以外は見なくても良いものばっかりなので30分だけ自由行動にしましょう」
この添乗員自身はひょっとしたら絵が好きかもしれないけれど、団体旅行を滞りなく遂行するためにこの様な発言をしたのかもしれない。だけどさ、こう言われて「ふ〜ん、そうなんだ」と納得できる人たちは最初から美術館なんか来なけりゃいいじゃん。ウッフィッツィなんか通り越してポンテ・ヴェッキオで買い物でもすりゃいいじゃん。きっと彼らもその方が満足だろうし。「せっかくイタリア来たんだから芸術に触れなきゃ!」なんて義務感に駆られてるんじゃないか?ひょっとして。つまらない見栄なんかはらずに、短い旅行なんだから好きなことだけすればいいのにね。あ、してるのか。イタリアの美術館に佇む自分が好きなんだもんな*1
次第に内容が過激になってきたのでこの辺でやめるが、「興味なければディズニーランドに行かぬ会」を結成したい。「興味なければディズニーランドに行かぬ会」を結成しよう*2。会員募集中。

*1:昔どこかの美術館で年配の女性が友人と連れ立って絵を見に来ていて、その時レンブラントかなんか、有名人の絵の前で一言「この人、絵上手ねぇ」。こういう評価は初めて聞いたよ。こういうのは楽しくていいな。意外性がいい。

*2:こんな強気な意思表明をした私だが、ディズニーランドのキーワード、リンク外しました。小心者ですみません。