面の割れやすさ

顔に若干の吹き出物があるために月に一度は皮膚科に通っているのだが、たった月一の通院にも拘らず看護婦さんに面が割れていた。私の顔を見ただけで名も聞かずにカルテ用意してたんだもん、吃驚したよ。どうも私は記憶されやすい顔をしているらしい。態度が尊大だからだろうか。態度が尊大といえば、実際の身長より背が高く思われることも多い。158cmしかないのに164〜5cmくらいに思われているのだ。
話は面の割れやすさに戻るのだが、新宿の談話室滝沢でも面が割れていた。こちらでも月に一度とある研究会をやっているのだが、何も言わないうちから予約した席に案内されるのだ。去年まだシュマンに通い始めた頃に既に顔を覚えられていたときは、初めてあの店に行ったときの自分の態度*1を思うとそれも当然かと思ったのだが、その次に行った銀座のマリアージュ・フレールでも面が割れていたときは本当に驚いた。年に数回、数えるほどしか行かないのに…。一番驚いていたのはそのとき私と一緒にいた人だが。「どこでも顔を覚えられてるんですね!」って。
私自身は人間の顔に殆ど興味がないので世の人の顔認識能力には感嘆してしまう。最近気づいたのだが私は他人の顔どころか自分の顔に興味がないのである。メイクや髪型にまったく関心がない。はっきりいってそんなものはどうでもいい。学生の頃は一応口紅だけはつけていたが、それも血色の悪さから来る陰気な雰囲気をカバーするためのものである。修士を出て瞬間的に会社員をしていたときは化粧をしていたときもあったが、それすらも未だ研修期間中という段階で既に面倒くさくなり、同僚(男だらけだった)に「面倒だから明日から化粧するのやめようと思うのだが」と漏らしたところ「え〜…」と否定的な反応が。私は「ひょっとして失礼なことを言う気か?」と身構えたが、そんな事よりも驚きの発言が。
「いつどこで素敵な人と出会うか分からないんだから、ちゃんと普段から綺麗にしていないきゃ」
驚いたね、この発言。女性が化粧をするのは男性に良く思われるためだと思ってるんだよ、この人。そういう人もいないこともないかもしれないが、殆どは自己満足で化粧してると思うんだけど。多少なりとも綺麗になる自分が嬉しいんだと思ってたんだけど、私は。違いますか?聞くとその彼は男兄弟しかいないそう。女性の実態をあまり知らないのでは?
そんな話はどうでもよいのだが、私は私なりになぜ自分がこうも自分の顔に関心が持てないのか、病院の待合室で考えた。で、結論。自分の顔は自分では見られないから。見えないもんは興味ないらしい。思い起こせば幼少の頃も、自分の顔は自分の一部であるにも拘らず直接目視することは叶わないという事実に軽くショックを受け、何とか自分の顔を見られないか頑張ってみたものだが、見えたものといえばピントの合わない鼻先とまつげだけだった。
だからさぁ、よく人に顔が小さいって言われるんだけど全然よく分かんない。どれくらい小さいのか分かんない。そもそも顔が小さいことがどれくらい良いことなのかも分かんない。だから何?と思ってしまう。顔が小さいと何が良いんですか?随分前に近所のおばさんに「顔が小さすぎてバランスが悪い」と言われて傷ついたことならあるけど。太ってるとかそういう事なら努力次第でなんともなるだろうけど、顔が小さすぎるって…。どうにもできないんですけど。本人が努力しても改善できないことを指摘するのはやめていただきたいものである。

*1:その美味しさに興奮しまくり、食材や料理について五月蝿いほどに感想を言っていた。しかし店の人を驚かせたのは私の「写真撮ってもいいですか?」という発言だと思う。てっきり同行の母と私の記念写真を頼まれたのだと思った彼は私に歩み寄りカメラを預かろうとしていたにも拘らず、私と来たらそんなのそっちのけで料理の写真を撮りまくっていた。