サイパンとサハリン

自分で書くのもなんだが、私はかなり集中力がある。ありすぎて日常生活に差し障りがあるほどだ。まず第一に興味のないものは見えない。求めている対象のもの以外は私の精神世界には存在し得ないのである。だから世の中の大半の人間の顔を覚えることができない。そんな私の集中力であるが、緊張の糸が一旦切れると大変なことになる。今日はぼんやりして、コーヒーを淹れようとしてフィルターをセットしたものの、コーヒーの粉を入れずにお湯を注いでいた*1。吃驚した。そして職場から帰る間際には頭が使い物にならない状態でディスプレイに向かっていたのだが、だいぶ頭がもうろうとしてきたな、と思おうとしたにも関わらず、だいぶ頭がもうろくしてきたな、と思ってしまった。口から言葉を出す前に間違えてんの。本当に耄碌してるじゃん。
ところで今日は仕事上の必要から本屋に行ってきた。グアム・サイパン関係の本を求めて本屋に赴いたのであるが、久々の本屋である。我を忘れて逆上しかけた。うひゃあ、こんな本が出てるぞ!って。私は小心者でもあるので、仕事と関係ない本に手が触れた瞬間に、こんなことをしていたらサボタージュしていると思われてしまうのだろうか、と誰にも見られていないにも関わらず内心ドキドキしてしまった。
そして求める本のコーナーにたどり着いた。手にとってから気づいたのだが、グアム・サイパンを求めていたはずなのにホノルルの本を手にしていた。つまり私にとってはホノルルもグアムも大体一緒なのである。自覚のなかった自身の分類法に気づかされ、意外な新鮮さを覚えた。そしてその後は新たな事実を発見した。サイパンとサハリンって、字面が非常に良く似ているのね!サハリンの本も手に取っちゃったよ。ホノルルよりはましじゃないですか?サハリン。その語から受ける印象はえらく寒く、サイパンとは対照的であるが。

*1:ポットからお湯を出しっぱなしにしてカップから湯を溢れさす程度のことなら週に3〜4回はある。