誰に言われたわけでもないが、自ら必要性を感じて休日出勤することにした。私の予定では3時には会社に着いて、12時まで働けば9時間は働けるなぁ、そういう計算でした。なのにな〜んでか会社に着いたの6時半だった。どこで間違ったんだろう。5時間半しか働けなかったよ。
まず会社行く前に定期買いに行ったでしょ。そんでついでにロフトで買い物したでしょ。それから会社の最寄の駅の一つ前で降りてコーヒーの粉を買いに行くことにしたんだよ。会社のコーヒーは味覚を破壊するほどに不味いのにも関わらず、それに慣れてきている自分が怖くなったので、ちゃんとした粉を買おうと思ったんだよ。だって、会社に入る前に近所のスーパーで買った粉が、その頃はめちゃくちゃ不味いと思ってたのに、昨日飲んだら美味しく感じたんだもん。由々しき事態ですよ、これは。で、粉買うだけなのもなんなので、ついでにコーヒーも飲んでいきました。なじみの店員さんにも挨拶されたりして上機嫌だよ。上機嫌ついでに三省堂に寄って本買いました。裸眼だったから本探すのに手間どっちゃってさ。そうだ、それだ。その所為で会社に着くのが遅くなったんだ。その所為に違いない。だから私は悪くないんだ。
買った本は何かと言うと、齢31歳にしてガンになり、余命2年を宣告されたフリーの編集兼ライターの人の日記。今ちょっと酔ってるから正直に感想を書くけどさ、この人の文章、あんまり巧くないんだよ。知性が感じられないというか、深みが感じられないというか。書いてる内容にも思い込みが強すぎて客観性が感じられない時が多い。文系の人間に理系の人間の客観性を求めるのがそもそも間違いなのかもしれないけど。で、ネットでも日記載せてたりして、全員じゃないけど彼のファンの中には彼自身に魅力を感じているというよりは、まだ若いのにガンにかかってしまった「彼」に同情しているだけの人とかいて非常に気持ちが悪い。そんな好かれ方しても彼自身だってあんまり嬉しくないだろう。だって、編集やらライターやら、文章を書くことを生業として生きている人だよ?書いた内容以前に自身の置かれた状況だけで好かれても全然嬉しくないよ。
で、そんな状況なのになんで彼の本を買うかというと、やっぱり本当に何かに直面している人の言葉は重いんですよ。文章力だけで言ったら申し訳ないけどたいしたことはない。だけど30代前半という若さで余命2年を宣告され、しかも既にその2年も経過してしまっていつ死んでもおかしくない人の心理なんて、想像だけじゃ推し量れない。経験している人じゃないと書けないことがあるんだよ。
昔、私がまだ二十歳くらいの頃にボランティアについて考えていたことがあるのだけれど、それは何かと言うと、ボランティアをやる人の動機についてだ。本当に、心から、自分の利益を考えずに人のためだけに生きられる人というのが存在しえるのか、と。その時の結論としては、人のため、と言うよりは「人の役に立っている自分」に生きがいを感じているのではないか、結局は自分のためにやっているのではないか、という事だった。しかし何年か経ってから、青年海外協力隊で2年アフリカに行っていた人と話す機会を得たときに、自分の考えを述べたのだけれど、私はただ恥じ入るしかなかったね。彼の言葉はやはり私の考えを肯定するもので、それだけでなく「実際にボランティアに行ったわけじゃないのに、よくそこまで理解しているね」と褒められたのだけれど、それが恥ずかしかった。やっぱり本当に経験している人の言葉は重いんだよ。それに比べて私なんか所詮頭を働かせてるだけで、めちゃくちゃインドアな人間で、机上の空論に過ぎないと言うか引きこもりと言うか。何もなしてない人間が想像だけで現実を理解していたとしても、大した価値はないなぁ。そう思いました。
だから、件の彼の本を買うんです、私は。今日は本当は彼の初めての小説も買う予定でした。売り切れてたから買えなかったけれど。小説と言うのも自伝的小説らしい。悪いけれど私は彼が死に掛けているからといって、小説を評価するときに大目に見たりはしないし、出来が悪ければ悪いと書くよ、きっと。でもやっぱり、死に直面した人間が書く世界に興味はある。ということで買えなかった本を注文し、それが届くのが待ち遠しい今日この頃です。