ショックだ。ショックとしか言いようがない。うそ臭い気もするが泣きそうだ。私が日曜日に悪口書いたフリーの編集兼ライターの人、私が悪口書いたその日に亡くなってた。私が今週何をしていたかと言うと、忙しくて3回ほど会社に泊まって仕事していたのだが、その合間をぬって昨日、注文していた彼の本が届いたというので神田の三省堂本店まで取りに行ったりしていた。昨日から今日にかけては本当に自分でも吃驚するくらい働いていて、いい年して完徹とまではいかないものの1時間机でウトウトしただけで今日の23時過ぎまで働いてたんだよ。
今日の夜、9時くらいですかね。仕事が一区切りついたので食事をしようと適当な物*1を買ってきて、自分の机で食べていたんだけれど、食事中はどうせ仕事できないし、彼の病状が思わしくないのが気になるからサイト覗いてみようとしたんだよ。そうしたらさ、彼自身ではない、第三者の手で、彼の死が綴られていた。悲しいとか、そんな簡単な言葉ではすまない。とても表せない。彼の最後の言葉は「死にたくないな」だったんだよ。「腹水がたまってきた」とかそういう表現が目立っていたから、そろそろ危ないとは思っていたけれど、そんな予想と現実の死とではとても同じ次元で語れるものではなく、彼が近いうちに死ぬことを、私は頭では理解していたものの、こうなってみて初めて気づいたのは、永遠にこの状態が続くと、理屈じゃなく思い込んでいた自分がいたということだった。
去年の6月くらいに初めて彼の存在を知って、その時の私はまさか自分も編集者になるとは思ってもみなかったけれど、本好きの一人の人間として彼の文章はイマイチであると断じながらも、死に向き合っている人間の動向を殆どリアルタイムで見つめてきた。死にかけてるからって甘く見たりしない、人間として対等に客観的に彼の書いたものを見極めたい、それが私なりの彼に対する礼儀だとおもっていて、そんな私の一方的な関係が、いつ死んじゃうんだろうかと気にかけながらサイトをチェックする関係が永遠に続くと思ってた。だけど人って死んじゃうんだ。死んだらもう何の言葉も発することが出来ないんだ。彼の33歳という年齢にしては世の中に対して挑戦的で、青臭く感じる面もあったけれど、そんな言葉すら、今後は彼の手から新たに生み出されることはないんだ。そんな当たり前の事実が譬えようもなく寂しい。
今までは彼が生きていたからこそ、批判的なことも正々堂々とかけたけれど、今後はそれもできそうもない。だって最早私と彼とでは対等な立場ではないのだもの。人と人として、対等な関係ではないのだもの。今となっては、彼の死を知る前に、彼の本を買うことが出来てよかったと思うばかりだ。

*1:忙しさにかまけて下らない物しか食べていなかったために痩せてしまったよ。だって手軽に食べられるものといったらコンビニで売られてるものくらいだし、でも不味いから食べたくないし。痩せる以外の選択肢は私には残されていなかった。