自身の判断力に疑念を抱く

イタリア語を習い始めた頃、初回のレッスンで単に日本人の名前を覚えにくいがために「自分で自分にイタリア人の名前をツケマショー」とか言うイタリア人講師の言にまんまとのせられ、自ら「ルクレツィア」と名乗ったバカはこの私です。何故「ルクレツィア」がバカなのか興味のある方は澁澤龍彦「世界悪女物語」でも塩野七生チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」でも読んでください。
「給料日間近」は「金銭的に余裕が無い」と同義である。かなりヤバイ。生きるか死ぬかの瀬戸際である、というのはちょっと大げさか。そんなに余裕が無いのなら週末は実家に緊急避難すれば、という母親の誘いを断ったのは、単に交通費がかさむからである。私の実家は果てしなく遠い。同じ東京都内だというのに。精神的には地方出身者より実家が遠いのではないだろうか。帰ろうと思えば帰れる距離ではあるけれど、ぷらっと帰るには遠いし何より面倒くさい。この面倒くささが曲者である。地方出身者ならば、帰省すると決めた時点でそれなりに心構えが出来ているであろうが、私の実家程度の遠さだと「いつでも帰れるし面倒だし、まいっか」となりがちなのである。つまり半端に近いから気合が入らない。そんな私が夕方急遽、実家に帰ることに決めた。決め手は母親からのメール。
「豚汁作ったから食べに帰りませんか?」
食べ物の誘惑は凄いね。手を変え品を変え、聖アントワヌを誘惑していた悪魔たちも学ぶべきだ。好物を目の前にちらつかせれば私などは意のままだぞ。しかも母親の手料理。私が言うのもなんだが、相当料理が上手い。しかし外ではいくらお金を積んでも食べられぬのだ。そりゃ帰るでしょ、実家に。