老いを感じるとき

老いを感じるとき、それは「健康」をやたらと意識している自分に気付いたとき。それから中谷美紀を目にしたときか。テレビCMなどで彼女を見かけると「昔はもっと綺麗だったのになぁ」と思ってしまう。そして同じ年に生まれた自分は彼女以上に老けてしまったのだろう、ああいやだ。私が大学4年かM1か忘れたが、大学に行く前に伊勢丹に寄る習慣があった。というか寧ろ伊勢丹に通っていた。そんなに通って何をしていたかは覚えていない。新宿で電車を降り、地下道を歩いて伊勢丹に向かうとやたらと彼女のポスターが貼られていた時があった。デジカメか何かの広告だったのだが、前を通るたびに見惚れていたね、私は。こんなに綺麗な人がいてよいものだろうか、と。本当に綺麗だったなぁ。今の中谷美紀を見るとちょっと切ない。余計なお世話だろうけれど。
それから、江原啓之みたいなのを見ても平静でいられるようになった自分に対しても老いを感じる。若かりし頃はああいう手合いは大嫌いだった。一言一句が癇に障るというか、何をぬかすこのイカサマ師めが、などと思っていたものだった。さっきまでフジで彼の番組をやっていたが、適当に聞き流せるようになったどころかああいうポジションの人の役目まで分かった。言ってることが本当かどうかというのはどうでも良いのだな。誰かに死なれて感情の行き場がない人の救いになっているのだからそれでよいのだろう。だから「スピリチュアルカウンセラー」を名乗っているのだろう。とはいっても「スピリチュアル」には相変わらずいかがわしさを感じないでもないが。