どうもイマイチ

読書欲低下中。なのに三省堂へ。今日は「反社会学」の新刊を買いにきたのだ、パオロ・マッツァリーノ。読書欲低下しているというのに本屋に来るとやたら本を買いたくなるのは何故なのだろう。本当は今日は水木しげるの「あの世の事典」を買おうと思っていたのだけれど止めた。買っても読みだすまでに4〜5年かかりそうだから。
なんでこんな気力減退かというと、原因はおそらくローマ人の物語にあるのだ。多分ね。現在「危機と克服」、三皇帝時代のローマを読んでいるのだけれど全然内容が頭に入ってこない。なぜなら、この前の巻「悪名高き皇帝たち」の、最後の最後で出てきた表現に引っかかっているからだ。簡単に言うとね、差別表現が使われてたわけですよ。その言葉が何かというのはここには書かないけれど、どういうつもりでこの表現を使ったのだろうかといろいろ考えてしまってね。「差別表現だからダメ!」と思考停止的批判をしているわけではなくて、何故あえて塩野七生が、批判されてもおかしくない表現を使ったのか、という点について考えてしまっているのです。時々その表現の意味するところを知らずに使う人がいるようだけれど、彼女も知らずに使っていたのだろうか。だとしたら衝撃的。新潮社の編集者は何とも思わなかったのかな。単行本が出るときと、今回の文庫化で、少なくとも2回はチェックする機会があったはずなのだけれど。もし編集者が「この表現はちょっと…」と申し入れたとして、意味を理解した上で敢えて使っていたとしたら、ますます衝撃的だ。本当のところを知るすべは私にはないのだけれど、モヤは晴れないままだ。
モヤモヤしたままだから塩野七生が楽しめなくて、だけど読み終わらない内に他の本にシフトする気もしない。というかワタクシ、同時並行で本を読むことは自ら禁じているので、塩野七生が読み終わらなければもう一生本を読むことが出来ないのです。あ〜モヤモヤ。モヤモヤ。モヤモヤモヤ。

(追記)
会社で同僚に話した所、全員一致で「編集者が悪い」という話になりました。そりゃそうだよね。