私が日記を書く理由

池袋でお芝居を観た。久しぶりに。演劇集団キャラメルボックスの「クロノス」というお芝居で、原作は梶尾真治の「クロノス・ジョウンターの伝説」。劇場で著者サイン本が売られていたのでつい購入。サイン入りという言葉に弱くてね。そのうち古本屋に売ったときに価値が上がるかと思って。同じ理由で小学生の頃から本を購入する際には初版に拘っていたが、最近では初版のために本屋を何軒も回るほどの熱意と情熱を失ったというか、老いて体力と精神力が落ちたというか、カバーが綺麗ならいいです、という謙虚な姿勢になってきた。
私の偏執傾向はどうでもよいのであった。「クロノス」、先月公開された映画「この胸いっぱいの愛を」も同じ小説が原作になっているとかで、何故この作品がほぼ同じ時期に映画化されたり舞台化されたりしたのか気になる。裏でお金が動いていたりするのだろうか。どこから誰に動いてるのか分かんないけど。そんな「クロノス」であるが、とてもよかったです。私のように陰気で暗く、気付くとそんな行動は誰にも求められていないにも関わらず部屋の隅っこで体育座りしているような人間にとって、キャラメルボックスのお芝居はとてもよいのです。どの作品を見ても、人の真摯な気持ちというか、一生懸命になっている人の心が垣間見られるというか。世の中こういう芝居があるんだから、まだ救いがあるな、などと誰に対するどのような救いなのかはよく分からないけれど、そんなことを思ったりする。
原作本は短編3作で構成されており、今回はそのうちの1作を舞台化したそうで。来春には残り2作も同時に公演するという話なので、絶対観に行くぞ、と決意した。そんな決意をここに書くことに何の意味があるのか分からんし、誰も私の決意などに興味を示さないだろうが。そんなことを書きはじめると私の日常生活にだって興味を示す人間などいないだろう、という予測が当然の如く立ち、日記をネット上に書くという行動の無意味さを自覚せざるをえないのだが。そういえばそんな話をつい先だってある人としたのであった。日記書きたいなら普通にノートに書くとかすればいいじゃん、なんでWEBに載せるのか、人に褒められたいのか、注目を浴びたいのか、などなど問われその時は、やっぱ自己顕示欲かね、と歯切れの悪い返答をしてしまった。
あれから若干考えたりもしたんですがね、答えが分かりましたよ。殆ど「独り言」ですね。私のように自分の話ばかりしたがる人間はネットに日記を書くのが世間様にも迷惑をかけずにすむので好都合なのです。私にはコミュニケーションを取るというよりは一方的に自分の話をし続ける傾向があるのですが、当然ながらそうそう話を聞いてくれる人などおらず、相手が面白くなく感じているのに突っ走って喋り続ければただでさえ少ない友人を失う羽目になるであろう事は想像に難くないのです。誰かに話を聞いてもらいたい、だけど相手がいない、だから「誰かが読んでいるかもしれない」ネット上に日記を書こう、という訳です。わかりましたか?
途中からこの間話をした相手に向けた文章になってしまった。ネットに日記を書く理由が判明した時点に、それを相手に伝えようかとも思ったのだが、いきなり電話をかけて「私が日記を書く理由は」などと話し始めても意味がわかんないというか、そういう行動を取るのは一般性を欠くような気がしたので慎んだ次第である。ということでその人が「読んでいるかもしれない」この日記に書いた。以上。