ブルース・リーについて思う

ボスニアブルース・リー銅像が壊されましたね。なんでもこの銅像、民族和解の象徴だったそうで。何故そのモチーフにブルース・リーが??と疑問に思ったのですが、新聞によるとこの像の建てられたモスタルという地で戦火を交えたクロアチア人とイスラム教徒の双方から親しまれていたのが、このブルース・リーであったとか。
ここで当然ながら疑問は2つほどわきあがる。「クロアチア人」と「イスラム教徒」が同列でよいのかね?「クロアチア人」と「ムスリム人」というのなら分かるのだが。「クロアチア人」と「イスラム教徒」という属性を同時に満たす人というのは存在しないのであろうか。或いは、このモスタルにおけるイスラム教徒は「ムスリム人」の定義から外れているとか?まさか。
それから2つ目の疑問であるが、これはもっと根源的なのだけれど、ブルース・リー以外には双方から親しまれていた人はいなかったのかね?なぜ敢えてブルース・リーに。ブルース・リーならば東洋人だし、彼の地の民族とか歴史とか文化には無関係(だと思う)だろうから安全というか無難であったからだろうか。それとも、私が知らないだけで実はバルカンではブルース・リーは英雄的に人気があって、誰もがその名を聞くだけで幸せな思い出を想起するとか?分からん。
すごく気になるのでそのうち機会と時間とお金を作ってかの地に赴き、ブルース・リーの認知度とか人々との関わりなどをリサーチしてみたいと思います。そんな疑問を持ったという事を覚えていられたら、ね。