面白いと言われたい

世界ウルルン滞在記という番組で若手俳優(といっても私は彼の存在をこの番組で初めて知った。人が自分の身分を自ら「俳優」と名乗れるのは一体どの瞬間からなのであろうか)がラートに挑戦しているのを見た。このラートというスポーツ、宇宙遊泳に似た感覚を味わえるそうなのだが、宇宙遊泳を体験したことがないので本当に似ているかの判断は出来かねる気がする。より正確に表現するならば「人がイメージする宇宙遊泳というものに似た感覚」ではなかろうか。いつになく理屈っぽい書き出しで始まった12月4日の日記です。
実を言うとこのラート、私も予てから挑戦してみたいと思っていたスポーツである。どんなスポーツかは日本ラート協会のHPをご覧いただければすぐさま分かると思う。動機は勿論単純に面白そうだからということと、他には、実際にはかなり筋肉を使ってると思われるのだが一見さしてラートをやってる本人は動いてなく見える=楽そう、私は瞬発力、持久力を求められるスポーツ(=ほぼ全てのスポーツ)が苦手というかできないので私にはラートが丁度良さそうということ、さらには、私みたいな超インドア派がよりにもよってラートをやっているのは傍からは如何にも面白く見えるであろうこと、などである。
今気付いたのだが、何故私はこうまでして懸命に面白さを求めてしまうのであろうか。院生時代までは私にとって「かっこいい」と言われることが最上の褒め言葉であったはずなのに、今は「面白い」と言われると芯から胸が熱くなるほど嬉しい。着実に正当なる孤独な三十路道を歩みはじめている気がする。最後にかっこいいと言われたのはいつのことだったろうか…。3年前だな。私は歩いているとすぐよろめいたり躓いたりするのだが、その時も何もないところで奇跡的なよろめき方を披露したのだ。そうしたら同行者に(ある意味)かっこいい、と言われたのであった。あの時からだろうか、私がかっこよさよりも面白さを追求し始めたのは。よくわかんないけど今後も頑張ります。