いろんなものを見失ってる気がします。

本日のYOKOI占いは「表現運停滞中」。イマイチな表現力がさらに低下するということだろうか。ちなみにそんな私が今日励んだのは「464.jp」で清水玲子「月の子」全巻読破。読みにくいPCの画面で一気に読みきるこの集中力を違う局面で発揮できたならば、もうちょっと違う人生が待ち受けていた気がする。
本日は引越しの日であったのだが、荷物を積み込んだトラックが去るのを見送るとすぐさま実家に電話し、トラックが着いた後のことは何とかしてくださいと一方的に宣言したまま友人とお昼を食べに出かけた。エビフライサンドを食べたのだけれどね、美味しいんだよ。それは良く分かっている。しかしそれ以上に食べにくい。毎回これを食べると何でたかだかお昼にこんな苦戦せねばならんのだろうと若干納得がいかない部分もあるのだが、食べ終わる頃にはそのような労を忘れ去っているので毎回同じ愚を犯すのであろう。
友人のフライング悲話に耳を傾け、彼女の友人で私もネット上では面識のある方が、ただの院生かと思っていたら仕事と学業を両立していると聞いて絶句。なんだよなんだよ、お金を生み出してない点では同じレベルにいると思ってたのに全然違うじゃん、とやさぐれはじめたらさらに追い討ち、まるで自分の手柄のようにこう呟かれた、結婚もしてると。すごい。スーパーエリートだな。結論としては我々のような人間にはそのようなスピードのある電車には決して乗り込めないし、また座席も用意されていないという話であった。まあ、電車に乗るために走るような人間でもないんだけどね、そもそも。
そんなこんなで楽しく過ごし、その後は荷解きのために実家に向かわねばならなかったのだが、長時間電車に乗って集中して読書する時間を得たというのに本も読まずに携帯などいじってしまった。これまで住んでいた家は携帯圏外で日ごろは主にPHSを使用しているのだが、久しぶりに携帯を見たら結構友人からメールが来ていた。しかも大分前に。しかし私はそのメールを読んだ覚えすらない。ゆえに当然レスもしてない。俄かに思い出したのだが、PCの方にも結構メールが来ている気がするのだけれど最近はさっぱり返事をしていない。もっと言うと返事をしていないという事実すら忘却の彼方だ。こうやっていろんな大事なものを見失い、さらに孤独になってゆくのでしょう。着実に孤独死への道を歩み始めている昨今、老いた後に生死の確認および葬儀その他で手を煩わせるであろう甥っ子に今から貢物をすべきか考える時期にきているのでしょうか。