捨てられない性分

引越しの荷を解く前にこの際だから10年近く手をつけていなかった押入れも整理しようと決意し、着手してみたらもう出てくるわ出てくるわ、様々なわけの分からんものが。父親に「そろそろ『捨てる』という事を覚えなくてはいけないよ」と諭されたことにも表れているが、私は物を捨てることができずに溜め込む。おかげさまで押入れの整理が楽しくてねぇ。この楽しみのために今まで様々な下らないものを溜め込んできたのかもしれない。
一番絶句したのはアレだ。大学一年のときの電磁気学レポート。赤字で「手抜きをせずに過程も書いてください」と書かれていた。いい加減な性格は今に始まったことではなかったんだな。10年でこれっぽっちも成長してないじゃないか。他にも未提出かつ未着手の中学時代のZ会の通信添削なども出てきたが、これは今までにもあったことなのでさして驚きもしなかった。思うにあと5回分くらいは私の部屋の中で眠ってるんじゃないですかね、Z会
兄が幼稚園の頃と私が幼稚園の頃のアルバムもそれぞれ出てきて、そもそもなんでそんなものが私の部屋の押入れに入ってたのかも結構謎なのだけれど兎に角見てみたら面白かった。私のは、まあそれなりに幼稚園生活を満喫したんだろうな、というかなんと言うか、断片的にその時代の写真が並べてあったのだが、兄の方と来たら母親の字で写真の下にコメントが入ってるんだよ。「水遊び楽しかったね」とか。色鉛筆まで使って。この違い!いかに二番目の子どもはどうでもいいかが如実に表れていると思うね。しかし見てると次第に適当になってきて、要するに母親はあまりまめな人じゃないというか、飽きてきたんだな、と思ったわけだが、色鉛筆多色使いで書かれていたコメントが適当な紙切れにボールペンで書かれているだけになっていた。よくよく見ると「昭和52年」などと書かれており、つまりは私が生まれたからそんな暇がなくなったという事かもね。それにしたって私の場合は生まれたてのときのアルバムですら何の工夫もこらされていないので、上の子と下の子で扱いが異なるのは明らかだ。まあしょうがないですけどね〜、どうせ私は赤子ん時は赤んぼう少女タマミみたいな顔してハゲで不細工でしたからね〜。それに比べてお兄ちゃんは可愛かったよ確かに、女の子みたいだったよ。今じゃ見る影もないけどね〜。兄の人生の絶頂期は幼稚園児時代だ。私がここにそう断言する。
こうしてちっとも押し入れもダンボールも片付かず、その上ネットにまでつなぎ始めたので年内に整理し終えるのは諦めた方が良さそうに思う。ちなみに昨日の日記で、ウクレレ教則本がどのダンボールに入っているか把握していると書いたが嘘であった。思うところには入っていなかった。想う人には想われず、みたいな。どこに行ってしまったのだろうか、教則本。死ぬまでには出てきて欲しい。なんだか益々部屋を片付ける気がなくなってきた。だってさ、気付かないフリして今日の日記書いてたけど、絶対に片付かないことは明らかなんだもん。この部屋にある本棚のキャパシティを考えたら、ダンボール4箱分の本が収まるわけがない。現実を直視してダンボールとともに生きていくことを検討した方がよいかもしれない。