一瞬にして物を見失う部屋

ウクレレ教則本、引越しのどさくさに紛れて散逸してしまった。もはや買った記憶すらなかったサヴォナローラの著作ならば出てきたというのに。失われた記憶をつなぐようにして部屋の片づけをしていたら、あることを思い出した。小学校に入学したてで、まだ7つにもならない幼い頃のことだ。
生来目立ちたがり屋であった私は、通い始めた学校で習いたての漢字を漢字練習帖に書き付けて提出するというルールを得て、習う前の漢字をどんどん覚えて練習しノートに書いて提出すれば褒められること必定であると内心ほくそえみ、せっせと新たな漢字を覚える日々が続いていた。そんなある日、新たに出会った漢字は犬猫を数える単位、いっぴきにひきの「匹」であった。なんか疲れてるのかしら、私。小学生の頃の回想が邪悪な感じだ。実際はそう打算的だったわけじゃなく、好奇心旺盛で知りたがりだったために、それまでは頭の中でひらがなで認識していた言葉が実は漢字で書けると知った喜びと、それからほんのちょっとの虚栄心で先生に褒められたいという気持ちで、新しい漢字を覚えていたに過ぎない。その日もそうして、丁寧に「匹」「匹」「匹」…とノートに書き綴り、先生に「もうこんな字を覚えたのね!偉いわね!」と褒められる日を夢見て提出したのだった。
そうして返ってきたノート見たらさぁ、赤字で棒線一本ずつ足されて全部「四」にされてんの。すごいショック。褒められるはずだったのに。これじゃあ「四」すらまともに書けないバカな子みたいじゃん。矜持を傷つけられた一瞬だったよ。先回りしようとして空回りしている辺りが現在と全く変わらないのは、汚された誇りから何物かを得られなかった証であろうか。
昔の記憶でたそがれはじめ、ぼけーっとしていたら部屋の片隅にあるものが写った。ウクレレ教則本であった。ちゃんとあるじゃんねぇ。これで安心してウクレレの練習に励めるぞ、と喜んだのも束の間、今度はペリカンのスーベレーン*1が見つからない。私のスーベレーンは既に廃盤となった貴重な茶色なのに!捨ててしまったのだろうか。自力で探すことは不可能に思えるのだが、私が探さなければ一生見つからないままなのであろう。探す努力をしたところで、見つからないままなのかもしれないけれど。

*1:万年筆です。