素直になれない

すっかり夜型になってしまった。目が覚めるのが昼の2時を回っていると、一日を損した気がしてならないのは何故だろう。別にずっと寝ているわけじゃないから普通の人と比べて活動時間が少ないというわけではないのに。ちょっと考えてみよう。損に感じる原因というのは、起きた時間から夜までの時間の短さに拠ると思う。あっという間に夜になってしまうと「もうこんな時間か、何か始めるには遅すぎるな」と思い、結局何もせずにダラダラとすごしてしまう。ただなんとなく、ガチンコ視聴率バトルなんか見ちゃって、私も面白い人になりたいなどと思いつつも見終わってみると、別に特に見たいわけじゃなかったな、などと再認識したり。ここか。何も出来ないから損に感じるのか。しかし結局こんな、明け方4時過ぎまで起きているのなら夜の11時過ぎからだとしても何でもできると思うのだが。つまりは「夜は寝るもの」という常識に囚われているというわけだな。早く真の自由人になりたい。
リリー・フランキー「東京タワー」を読み始めた。しかしどういうわけか気乗りがしない。読み始める前に散々、方々で「泣いた」とか聞き「読んだ方がいいよ」などと勧められるとどうもその気になれんのです。結局自腹で買う気がしなかったので人から貸されるままに借りてみたのだが、どうもねぇ。まだ3ページしか読んでないからリリー・フランキーがどうという以前に私の自意識の問題なのは間違いないのだけれど、どうして私はこう、世の中全体の評価に対してあまのじゃくになってしまうのかね。
書いているうちに原因が分かった。これを評価していた私の周りの人々と私の好みが合うかどうかという点に懸念を抱いているという事だ。ひどいね。評価している人を私が評価してないってことだよ。多分Thornさんとか無果さんとかが面白いって言ってたら素直に読む気になったことであろう。あとね「絶対泣く」とか言われると身構えてしまうという性質がある。じゃなに?もし泣かなかったら私は人間として欠陥があるとでも言うわけ?と。私は結構自分の事を客観的に見てかなり凡庸な人間だと思うのだけど、世の人々とは感性が若干ずれている気がするのだ。皆が「泣く」というものに対して泣かなかったらその感性のずれが明るみに出ちゃうじゃないか。あんまりずれてる人間であるとバレたくない。だから私がこの日記に「東京タワー」の感想を書かなかったとしたら、読み終えることがなかったか、或いは泣かなかったかのどちらかだと解釈してください。
ところで、実家に戻ってみて自室のクローゼットを見たら意外なものが多々あった。なんか、ヴィヴィアン・タムとかアルマーニとか、ヴィヴィアン・ウエストウッドのドレスがあんの。ドレスというのは言い過ぎかもしれないけれど、ワンピースと呼ぶには明らかに普段着られない服なんだよ。なんでこんな物があるのかよ。意味わかんない。昔の方がお金があったのは確かだけれど、こんな着る機会の無い服に大枚はたくほど馬鹿じゃあありませんよ、私だって。普通の人なら結婚式に呼ばれた際に着そうだけど私はあんまり普通の人じゃないのでここ数年はアオザイで済ませ、花嫁からは「どうしたの?」と言われ列席者からは注目されるものの誰一人として声がかけられないような異様な雰囲気を醸し出すことに成功しているし、とクローゼットの中の洋服たちを見つつ悩んでいたのだが、良く考えたら私、昔は四六時中オペラ観に行ってたんだわ。最低でも月に一度は観ていたし。そんな習慣があったことなどすっかり忘れていたよ。文化レベルが落ちたのね。ということで今年は再びオペラ・バレエの類を積極的に観に行きたいと思います。興味ある方はご一報ください。ともに観劇しようじゃありませんか。