トンネル

数日前に毎日一本映画を見ると書いてから例の如く全く実行していなかったのだが、今日になって漸く映画を見ることができた。ドイツの2001年だか2002年くらいの映画で、1960年代に東独から西独へと人々を脱出させるためにトンネルを掘った人たちの映画。たまたまCSで放送されていたものを録画して観たのだが矢鱈と長い映画だった。「長い」と感じるという事はさほど引き込まれなかったという事ですね。面白いような気もしたのだけれど、観ながら「これを面白いと判じてよいものか」とも思ったのでなんとも言いようが無い。
そしてそこそこ物語が佳境に入ったところで外出していた母親が帰宅し、母親の帰宅などという事は全くの日常の事で気にかけることでも無く、耳でドアの開く音を確認しながらも目線は画面に向けたままだったのだが、視界の隅で思いがけぬ闖入者を認めてぎょっとした。母親が2歳児くらいの子どもを抱っこしてたんだよ、誰だそれ。慣れない状況に置かれると人間はありえないことをも考えるわけで、私は一瞬その子を生まれたばかりの甥っ子か、随分大きな子だ、などと思ったりしていたので多分気が動転していたのでしょう。
話を聞くとお隣の女の子であったのだが、なんでかその子は得体の知れぬものを見るような目線で私を凝視している。大抵私は家にいるときは楽な格好(=いいかげんな格好)をしており、父親にはかつてそれを「ユニフォーム」などとも言われたこともあるのだが、こんな子どもに私がそのような格好でいる意味など理解できるわけも無いと思いつつも気恥ずかしくなり、手ぐしで髪を整えたりしている私は小人物だなと思った。長らく私を見続けていたその女の子も私の顔かたちに慣れたようでうちの猫に、にゃんにゃん、と声をかけたり、猫は猫で損な子どもに対してシャーッと威嚇の声を出しており、私はうちの猫のその大人気なさと心の狭さに哀しさを覚えるとともに失望したりもした。
そんなこんなで佳境に入ってからの椿事にかなりやる気がうせ、映画に対する集中力も減退。そんなんでもラストに人々をトンネルから脱出させるところではそれなりにハラハラすることが出来た。家族と同居している場合、だらだらと、家事をやりながらでも楽しめる(途中経過を見逃しても内容を追える)映画を観た方がよいのかもしれない。