子どもに遊んでもらえない

大学時代に大変お世話になった先輩のお宅を訪問。向かう道中に一人で電車の中で、本を読むかさもなければ居眠りでもしてれば良いものの、昨日の飲み会でつまらない話をされたことを思い出し何故私がこうも面白くなく感じたのか考え原因を探り、そしてその原因は判明したのであるけれど、だからと言って何にもならない話なので大変に時間を無駄にしてしまった。
先輩のお宅にはあと数ヶ月で2歳になるお子さんがいるのだが、前回会ったときはまだ赤ちゃんだったのに、今回はちゃんと子どもになっていたので驚いた。当たり前だけど。可愛い黒猫のぬいぐるみを持っており、私はそれが大変に気に入ったのでご子息に向かってその人形を指差しつつ「これ好き?そんなに好きじゃないでしょ?きっと私の方がこのネコちゃん好きだよ」と圧力をかけるという一人遊びをしてしまった。
もともと私は兄弟の末っ子で、小さい子どもと遊ぶ術を知らずに生きてきて、大学院生くらいまでは子どもがあんまり好きではなかったのはきっと自分が幼かったからなのだろうけれど、兎に角小さい子にどう接してよいのか分からず困惑し動作が停止するという人間であったのだけれど、最近はしみじみと子どもが可愛いと思うようになった。いや偽善じゃなくて。「私って母性があるのヨ!」的なアピールでもなくて。子どもを観察してるのが一番面白いと思う辺り、やはり母性とはちょっと違うと思うし。しかし目に見えて成長していく様を見るのは絶対に面白いと思う。うちの甥っ子もつい2〜3週間会っていなかった間に首がしゃんとし、私の母が胴の辺りを両手で支えてやればしっかりと立つことすら出来るようになっていたし。その姿はまるで、こんな感じ。ホラ、宗教画でよくある構図だけど、マリアの膝の上でイエスが赤子なのにも関わらず一人前の人間みたいにしゃんと立ってるみたいな。凄い違和感があるんだけどとりあえず立ててるという、あんな感じ。私は人に影響されやすいという軽薄さを持ち合わせているので、すっかり子育てしたくなってしまった。先輩のところのご子息が全身で「ママが大好き!」という気持ちを表していて、他人との間ではこのような関係は絶対に成立しないだろうと言うのも魅力だ。いいなぁ、子ども。子育てしてみたくなっちゃった。でもきっと途中で飽きるからまだダメだけど。