考える

衝撃的なまでの体調不良。朝、猫に促されるまま起床したものの眩暈と血行不良による気分の悪さによってダウン。よく分からんが肋骨付近が傷む。眠気と気分の悪さで朦朧としたアタマできっと私は大病を患っているのだ、そしてこのまま苦しみぬいて死ぬのだ、苦しむくらいならさっさと自殺したいが意志薄弱だからそれも決行できずダラダラ生きて死ぬのだ、とそこまで考えてベッドに戻り即入眠。病院に行く夢を見てしまった。遠く離れたところにある病院に行ったもののろくに診察も受けずに家路に着き、何故か駅の窓口で薬を手渡された。窓口のお姉さん(といっても絶対年下。24歳くらい)に「病院で話題になってましたよ、やっかいな患者が来たって」と言われる。何故だか分からないが私はそれを「一筋縄ではいかぬ凄い女」と言われたと勘違いして勝手に一人で照れていた。いやぁ、そんな大したもんじゃないっすよ、へらへら(笑い声)って。お医者さんの見立てによると、夜間、寝ている間に高熱を発していたにも関わらず眠気が勝って眠り続けていたので体が警告を発するために肋骨近辺が傷んだのだという。よく分からぬ理由だ。午前中寝ていたら体調も回復したので仕事に赴くと、職場のリーダー(恐らく50代の男性、多分気に入られてるんだわ、私はこの人に)に親しげに「パワフルウーマンでもダウンするんだねぇ」と軽口をたたかれた。パワフルウーマンって何だ。失敬な。ウーマンじゃなくてパーソンがいいわ、Person will be fine.ってRobyn Penrose気取り。口には出さなかったけど。
そんな今日この頃ですが、やはりサイエンスは美しいとしみじみと思うのでした。もっと突き詰めると人が何かについて真剣に「考える」という事が素晴らしいと思うのです。考え抜いた末に何某かの答えに辿り着いたときの、靄が晴れたような爽快感、感動、譬えようがありません。今日は「その時歴史が動いた」でガリレオガリレイ(ヘンな名前だと思いませんか?ガリレオの複数形がガリレイ、バカな名前だよ)についてやっていたのだけれど、割と世の中、ガリレオニュートン辺りで物理学の礎となる理論が相転移的に生まれたと思われがちじゃありませんか?私はそんな事はないのではないかと思うのです。実際ガリレオ以前にも、惑星が単純に地球の周りを回っていると考えられていたわけではなく周転円という概念が存在して、地動説まであと一息のところまで来ていたし。大分尤もらしい科学の存在を「知っている」現代人の目には昔の人の世界観や科学が荒唐無稽のように思われるかも知れないけれど、その荒唐無稽なものについて人間が考え、考えた結果に更に後世の人間の考察が加わり、少しずつ尤もらしくなって現在の科学があるわけで、その過程に人々が「考える」という行動をとってきた歴史があり、そこがなんとも私には感動的なわけです。
NHKの番組の出来自体は素晴らしかったかというと別にそうでもないのではないかと思うのだけれど、久しぶりにガリレオのこと、科学のことを思い起こすきっかけとなって急にその美しさを思い出し、何故だが番組を見ている最中に、真理に辿り着いた瞬間の感動を思い出して目頭が熱くなったのでした。まじで。自分でも吃驚。「その時歴史が動いた」なんか見て目が潤んでんの。客観的に見たら大分訳のわかんない状況ではあります。それで最後は焦燥感。やりたいこと、考えたいこと、知りたいこと、経験したいことは山ほどあるのに時間とお金が全然追いつかない。私は一体いくつになったら落ち着くのでしょう、と書きながら、落ち着いた大人になんかなりたかないけどな、と誰に言うとでもなく内心独り言ちるのでした。