5月15日の日記

かなりどうでも良いことしか書いていなかったので問題ないといえば問題ないが、今日の日記、途中まで書いたところで間違ってタブを閉じてしまいました。失われた今日の日記。面倒くさいなぁ、もう一回書くの。同じ話を2回も書いているという事はこの世で私しか知らないわけですが、既に書いたことを再びなぞることのむなしさ、ばかばかしさよ。だからエッセンスだけ書きます。エッセンスなんかないかも知れんけどね。
昨日の晩なかなか寝付けずすることもなかったために、ふと「明日の日記を今のうちに書いてしまおうかな」と思った自分に吃驚。日記の主旨に反することでもボーっとしていると考えてしまうものなのですね。しかし大分時間がたってから過去の日記を書くこともままあるので、大分時間があるうちに未来の日記を書くのも駄目というわけではなかろう、と思い至ってリラダン「未来のイブ」を思い出した、というだけの話です。何故リラダンかは面倒くさいので説明しません。気になる人は自分で読んでください。
それからなんだ、アレか。海外で何もせず、カフェやなんかでボケーッとし、気が向いたら読書する、などという旅のスタイルはなかなか理解されにくいって話だ。人に話したら「海外なんか仕事で行けばいいんだよ!俺なんかもう今年4回も行ったよ」といわれ、こういう価値観の人にボケーッとすることの楽しみを説いてもそれを楽しみと解してもらうことは困難なので放っておきました。しかしなんですかね、「仕事でいけばいいんだよ」というのはどういう意味なんですかね。同業者でお互いそういう機会が多々あるような状況での発言としたら理解できるのですが、職種やら会社の種類やら状況やら色々で一生働いていても永遠に仕事で海外に行く機会が得られない人もいるはずで、そういう人に「仕事で行けばいい」は非常にナンセンスではなかろうか。ていうかやはり仕事で海外に行く機会が多々あったとしてもそれで満足しない人もいるはずで、逆に仕事で既に海外に行っておりそれで十分であると感じている人から「だらだらと外国で過ごしたい」などという言葉が出てくる訳もなく、よってどのような状況でも「仕事で行けばいいんだよ」と言われて「あぁ!そっか!」と納得するような人は稀なのではないでしょうか。何が言いたかったんかね、あの人は。あんまり理解できませんでした。まじめに捉えるとよく分からんが、おそらく私にアドバイスしたい、コミュニケーションをとりたいというよりは自分の話に方向転換したかっただけなのでしょう。その後自分の仕事の話がスタートしましたから。自分の話をしたい人は私のようにこう日記を書いて欲求を解消すると良いんじゃないですかね。
日記といえばたまに日記をメールで送ってくる人がいるのですが、あれって何なんですかね。「今○○してます」とか。最初はなんとかレスをしていたのですがあんまり度重なるのでもう返事の仕様がなく打っちゃっておりますが、それでもまだ時々日記が届きます。私に一体何を求めているのでしょうか。ほぼ独り言といっても過言ではない内容であり、かつ私に対する語りかけやこちらの状況を尋ねるようなセンテンスもないので手も足もでません。今でも日記が届くと若干困惑しますが、トリ頭なので翌日には大概忘れているので、ある意味バランスが取れていると言えるのかも知れません。