すごい会話

昼休みの休憩の後くらいの時間に雪隠に行くと面白いことが多々ある。大体3人くらいの女子が屯して長らく喋ってるんだけど、連れションする習慣が子どもの頃からない私にはこの光景は大変奇異に映る。どちらかというと潔癖の傾向があるので私としては寧ろトイレの中での会話というか、会話以前に口を開くことを断固拒否したい。ほら、口開いたらなんか空気中に溶けた、誰かの体内から発せられたアンモニアが口ん中入ってきて粘膜から吸収されそうでヤじゃん。だけど彼女らにとっては誰かの体からジェネレイトされたアンモニアなど些事でしかないらしく、そういう状況に出くわすといつも仕事の話以上に熱を帯びた声で話してるんだよ。で、今日も雪隠に入ったらそういう状況だったわけだけれど、前回の彼女ら(同一人物かは定かではないが精神性はほぼ同一と思われる)のテーマが「二股と浮気の許容限度について」だったので、今日もどうせその手の話だろと思ったらあにはからんや、「やっぱり血が問題なのかもしれない…」だって。
すわ遺伝病の話題か、と思わず身構えた。だってほら、気安く聞いちゃいけない話題かと思ったから。聞こえない振りしてそそくさと個室に入った私の耳に飛び込んだ次の言葉はこんな風。「Oとは一緒にいられるんだけどAとはだめなの」。血液型の話かよ!「Oはお互いの時間を大事に出来るっていうか、いつもべったりじゃなくても大丈夫なんだけど、Aは暴走し始めるから」。かてて加えて男との相性の話かよ!そのあと3人でもう激論。なんで血液型の話でああも熱くなれるのだろうか。こういう人々は中学生の頃はよく見かけた気がしたけれど、高校、大学では全然いなくなってたから特に子どもに好まれる話題なのかと思ってたけど違うのだね。幾つになってもこういう話題が好きな人は好きなのだ。一瞬だけちらりと「いい年してまだそんな事話してんのかよ!」と思ってしまったけれど、年齢はきっと関係ないのだね。色恋沙汰が人生の一大事になりうる人とそうでない人との違いは何によって決まるのだろうか。色恋沙汰が彼女たちの人生にとって必要不可欠なのだとしたら、色恋が重大事ではない人にとっての、色恋にあたる位置付けの話題とか、思考の方向性というものは何になるのだろうか。もうちょっとじっくり考えて見たい気もするが、途中まで書いて中断してW杯チェコ・イタリア戦見てたらどうでも良くなってしまった。インザーギ、点入れられてよかったね。トッティのことを「バカ王子、って感じがする」と言った人がいたが、「バカ王子」という綽名はちょっと楽しいね。愛すべきバカって感じがするよね。これで日本が万が一ブラジルに勝って決勝リーグに行けたりしたらイタリアと対戦するんだろうけれど、そうなっても私はきっとイタリアを応援することでしょう。イタリア大好き。イタリア万歳。眠くなったぞ、おやすみなさい。