スナフキン憧憬

昨日の夜から突発的にスナフキンに憧れ始めました。しかしこれは断じて「スナフキンって素敵!」「理想のタイプだわ!」などというものではなく、単にスナフキンの職業に憧れているだけに過ぎません。スナフキンの職業、知ってる?「旅人」だよ?すごいよね。職業・旅人ってあんまりいないよね。この分かり易いようでいてその実何をしているのか全く分からないあたりに魅力を感じているのです。例えば、何かの会でスナフキンと同席したりして、お互い「どうも」とか言いながら名刺交換するとスナフキンから差し出された名刺には「旅人」と肩書きが書かれているんだよ、すごい羨ましい。せっかく名刺もらったのにどうやって彼が生計をたててんのか全然わかんない。名刺をもらっても存在が謎のままなんだよ。職業ならびに肩書きから得られる憶測を断定に変えさせない曖昧さ、イメージの浮かばなさが羨ましい。私もこういう、一応肩書きなり職業なりがあるんだけど結局何をやってる人なのか全然わかんないような、そういう肩書きが欲しいよ。
昨夜スナフキンの職業を思い出す前からも訳のわからん職業というか肩書きが欲しいとは思っていて、その私の欲求にぴったりフィットしたのが「旅人スナフキン」だったのだが、モンタネッリ&ジェルヴァーゾ「ルネサンスの歴史(下)」を読んでいた折にはヒューマニスト願望を持ちかけた。職業・ヒューマニストって意味わかんないじゃん。だけどよくよく考えてみると今のこの世でヒューマニストを名乗った場合、ルネサンス的なそれとは誰も思わないだろうしそれどころかいかがわしさ、偽善的においすらつきまとうのでよろしくない。ところで「ルネサンス」って不思議ね。なんでフランス語で日本では流通してるんだろうね、この時代のこと。イタリア語だったら「リナシメント」なのにね。そうか、じゃあ「ヒューマニスト」が胡散臭いならここは一つイタリア語で「ウマニスタ」とか言えばよいのか。…あんまりいい案とも思えないね。ウマニスタで思い出したがゆまに書房から発行されている西条八十の「人食いバラ」は面白い。
こんな昼休みのひと時で思いつくならとっくの昔に思いついているであろう私にふさわしく望ましい肩書きですが、上手い表現が浮かばないけどやっぱり「何かよくわからないけどいろいろやってる人」と思われるのが私としては大変喜ばしく思います。これを端的に纏められるような上手い表現ないかね、漢字3〜4文字くらいで表せるような。今後もこの問題について考えていきたいと思います。